ふらふらと覚束ない足取りで部屋を出る。
今日で何日目だったか・・・とは回らない頭で考えるが、ぼんやりと霞む頭のせいで、答えの代わりに大きな溜息が出た。
大きな欠伸を噛み殺すように息を吸い込むと、じわりと目尻に涙の粒が浮ぶ。
だるい体をほぐすように伸びをすると、首がごきっと大きな音をたてた。
痛む首筋と霞がかかった頭に、「サイアクだ」と文句のひとつも大声で言いたいのを堪え、廊下の先にある食堂へと入った。
朝食に濃いエスプレッソを飲めば頭も少しは冴えるだろうか、などと考えていると、元気の塊のような声が降ってきた。

「チャオ!!今すっげぇ音鳴ったな。」
「あら、リベルタ。」

よっ!と片手を上げて笑ったリベルタに、「朝から元気ねぇ」と苦笑交じりに答える。
正直に言うと、今のにはリベルタの声は頭に響いて不快なのだが、理不尽だと理解しているが故に彼女はそれを口にしない。
「あったりまえじゃん!」と声を上げるリベルタに、ノヴァが「うるさい」と一言言えば、ファミリー内で名物の"ガキンチョの喧嘩"が始まった。
本当に朝から元気だと呆れつつ、は食堂の中央を占拠する広い食卓の端、自分の席へと腰を降ろした。
厨房から朝食の良い香りが漂ってくる。
周りを見回せば人の姿はまばらで、相変わらず口喧嘩を繰り広げるリベルタとノヴァの他には、朝食をまだかまだかと待ち侘びるパーチェの姿しか見当たらない。
そもそも夕食会以外、食事の時間はばらばらであるので、全員が揃うこと事態珍しいのであるが。

「他の皆は?」

それでも、いつもに比べて少ない面子に、は無意識にそう口にしていた。
ピタリと動きを止めたリベルタとノヴァが、同時に振り返る。

「ダンテは懲戒任務だ。今日の夜戻ってくるって言ってたぜ。」
「ルカちゃんは、お嬢を起こしに行ってると思うよー。」
「パーパとマンマは部屋で朝食を摂ると言っていた。」

それぞれに近しい者が答えていく。
あと情報が足りないのは二人。

「ジョーリィはきっと錬金術の研究で引き篭もっているのでしょう。いつものことです。放っておいていいでしょう。」
「あら、ルカ。おはよう。」
「おはようございます、。」

ニコリと穏やかに微笑みながら自分の席へと着いたルカに、隣に居るはずの人物が見当たらず、はきょろきょろと辺りを見回した。
「お嬢様は?」と、向かいの席に座ったルカに尋ねる。

「今日は、パーパとマンマと一緒に朝食を摂られるそうです・・・・・・」
「ふーん。どうせマンマに"あら、ルカ?親子水入らずに入ってくるなんて野暮じゃないかしら?"とでも言われたんでしょ。」
「お、!それマンマの物まねか?似てる似てる!!」

腹を抱えて笑うリベルタとは逆に、ルカが今にも泣き出してしまいそうだ。
ノヴァも少し怒っているように見えるが、は気付かないフリをした。
今、彼の小言を聞くのは少々辛い。

「さあさあ、みんな。朝食の用意が出来たよ!」
「待ってました、マーサ!!今日はなっにかな〜!!」

食堂の奥から姿を現したマーサに、抱きつかんばかりの勢いでパーチェが駆け寄る。
大きなワゴンの中央に鎮座する寸胴から漂うオニオンスープの良い香りに、も駆け寄りはしないが両手を上げて喜んだ。
「まだまだ子どもだねぇ」とマーサが苦笑するが、こればかりは全員否定せずに笑って頷く。

「おや。デビトは居ないのかい?」
「デビトならまだ寝てるんじゃないかな?大体朝早くに起きてくること自体が珍しいしー。あ、マーサ!俺、卵とハム大盛りで!!」
「まったく・・・あんたは全部大盛りだろう、パーチェ。」
「さっすがマーサ!わかってるぅ!!」
「ねぇ、マーサ。デビトがどうかしたの?」

真っ白なプレートに山盛りに盛られていく朝食に少々の胸焼けを起こしつつ、がマーサに尋ねた。

「いやあね。昨日の夜わざわざ厨房まで来て、"明日の朝食はオムレツな"なんて言うもんだからさ。てっきり早起きでもするのかと思って、もう出来上がってるんだけど・・・。ま、作り直せば良いだけの話なんだけどね。」
「それはマーサに悪いわ。私、起こしてくる。」

気にするなと口にするマーサに背を向け、は食堂から出て行く。
背後からルカの焦ったような声が聞こえた気がしたが、気にしないことにする。
広い廊下の大きな窓からふと庭を覗くと、こちらに気付いたジローが剪定バサミを片手に大きく手を振っていた。
彼も相変わらずだなと思いながら、手を振り返したは廊下の先にあるデビトの部屋へと急いだ。

ノックを3回。
予想通り返事は無い。
物は試しとドアノブを捻ると、それは何の抵抗も無くすんなりと回り、キィと静かな音をたてて扉が開いた。

「・・・・・・無用心・・・」

呆れたように呟いて、そっと部屋へ足を踏み入れる。
カーテンを閉め切った部屋は薄暗いが、何も見えない訳ではない。
ベッドを中心に散乱するのは、彼が身に着けているスーツのジャケットとパンツ、そして革のグローブ。
ひとつひとつ拾い上げたは、指先に当たった固い感触に、大きく溜息を吐いた。
ホルスターに収まったままの二丁拳銃。
あれほど大切にしている武器をこんなに荒く扱うなど彼らしくない。

「・・・オイ・・・・・・」

重いそれを拾い上げたところで、擦れた声が静かな室内に響いた。
衣擦れの音に誘われるようにベッドへと視線をやる。

「ようやくお目覚めかしら?デビト。私の気配にも気付かないなんて、熟睡していたようね。」
「・・・嫌味か?。」
「あら。そんなつもりはないわ?」

寝起きが悪いことは知っているが、今日は一段とだるそうに見える。
勢い良くカーテンを開けると、薄暗かった室内に目に痛いほどの太陽の光が降り注いだ。

「で?昨日は何時まで?」
「・・・・・・4時・・・」
「何してたの?」
「・・・・・・・・・」

太陽の光から身を隠すようにシーツを頭から被ったデビトに、は呆れて溜息を吐く。

「今日の朝食、マーサにお願いしたんでしょ?もう出来てるんだから、早くしないと冷めちゃうわよ?デビトの好きな"ニンジン、タマネギ抜き、チーズ気持ち多め"のオムレツ。」
「・・・・・・別に好きって訳じゃねぇよ・・・」

寝起きのため、一向に上がらないテンションのデビトがめんどくさそうに答えた。
ソファーに放り投げられたまま皺になってしまったシャツの代わりに、クローゼットの中から新しいシャツを取り出し、タオルと共にベッドの上のデビトへと近付く。
顔の半分を隠す眼帯は外され、その代わりに長い前髪が彼の右目を覆い隠している。

「不機嫌そうな顔。」
「あァ?・・・誰のせいだっつーの。」

凄む声も掠れていてどこか情けない。
くすくすと笑いながらベッドサイドへ立ったは、とりあえず顔を洗ってこいとばかりにタオルを差し出した。

「・・・・・・っ」

差し出した右手と白いタオルがくにゃりと歪む。
顔を顰めたの口から、音になりきれない擦れた声が漏れた。
倒れると感じ、反射的に突き出した手から離れたタオルが床へと落ちた。

「オイ!ッ!」

デビトの焦った声が耳元で聞こえる。
「大丈夫だから」と、くらくらと揺れる頭を持ち上げようとするが、それはデビトの手のひらによって遮られてしまった。
寝間着代わりの白いシャツの肩口に顔を埋めたままの格好で、まだ揺れ続ける頭を落ち着かせるように浅い呼吸を繰り返す。
頭上からデビトの呆れとも安堵ともつかない溜息が降ってきた。

「んで、昨日は?」
「・・・・・・・・・」

何が?とは聞き返さない辺り、は質問の意味がわかっていたのだろう。
その上で答えることなく黙り込む。
再びデビトが溜息を吐いた。

「そんじゃァ、聞き方を変えてやる。何日目だ?。」
「・・・・・・・・・・・・・3日・・・・・・」
「ハァ!?3日って、お前・・・・・・ったく、今度は誰なんだァ?」
「・・・・・・・・・」
「俺か?パーチェか?ルカか?それとも・・・・・・」

次から次へと出てくる名前に、はそのひとつひとつに首を横に振る。

「・・・・・・お嬢様よ。」
「バンビーナか。そりゃまた・・・・・・」

「厄介だな」と呟くデビトに、が頷く。

「"イル・ディアーボロ"は気に入ったみたい。私がいつもより取り乱したから・・・・・・喜ばせちゃったのね。」

ふっと肩口に感じる温い感触に、デビトはが自嘲気味に笑ったのだと理解した。

。」

彼は、がタロッコと契約をしてからのことを思い出しつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
顔を上げようとするの後頭部に手を回し、肩口に縫いつけたままにすることを忘れずに。

「悪夢だなんだっつっても、夢は夢だろ?それに、俺はお前に殺されやしねェ。パーチェも、ルカも、ファミリー全員、お前に殺されるほどヤワじゃねーよ。勿論、バンビーナも、ナァ。」
「っ・・・でも・・・・・・」

瞼の裏に浮かんだ光景に、の息が詰まった。

広い訓練場。
レガーロ晴れの青い空。
足元を見下ろせば、幾何学模様が美しいタイルに、見覚えのある長い赤毛が扇状に広がっている。
白く生気の感じられない頬と、光も無くどんよりと濁った瞳。
口元を彩る赤が妙に生々しい。
一歩足を踏み出すと、黒いヒールにぴちゃりと何かが跳ねた。
粘度を持った赤黒いそれに、の瞳が大きく開かれる。
震える手を伸ばすと、赤黒く染められたナイフと自分の手が見えた。
投げ出したナイフがタイルに跳ねる音が・・・・・・妙にリアルに耳に響いた。

繰り返し何度も、忘れることもできず脳裏に焼きつく悪夢。

"イル・ディアーボロ"
悪魔が見せる悪夢は、彼女がタロッコと契約をした瞬間から現在に至るまで続いてきた。
彼女にとっての最大の不幸を見させ、苦痛を感じさせては喜ぶ悪魔は、どうやら今回のこの夢を気に入ったようだ。
それまでも睡眠を極限まで削っていただったが、立て続けに見せられる悪夢に、ついに過去最高の断眠日数を更新してしまったのだ。

「私は・・・・・・恐いっ・・・いつか本当に、」
「ねーよ。」

震えるの言葉は、デビトの馬鹿にしたような声に遮られた。
頭に添えられたデビトの手を振り払い、彼女が顔を上げる。
ライトグレーの瞳を縁取る瞼が真っ赤だ。
クックックと喉の奥で笑ったデビトは、更に馬鹿にするように言葉を続ける。

「最初に見たのは神父のジジイだったか?次にルカ。その次はパーチェ。そんで俺か。パーパもマンマも見たんだったな?」

こくりとが頷いた。

「ダンテもリベルタもノヴァも・・・・・・ジョーリィだけは見てない、けど・・・」
「クハハハ!」

心底楽しそうにデビトが笑う。

「心配ねーよ。あれでバンビーナも剣の幹部だぜ?お前に易々と殺されるほど弱かねーよ。それに・・・・・・」

声のトーンを落としたデビトが、再びの頭を抱え込んだ。
の耳朶にデビトの唇が触れる。

「そうなったら、俺がお前を殺してやるよ。」
「っ・・・・・・」

勢い良く体を起こしたは、大きく見開いた目でデビトを見つめた。
ぽろりと大粒の涙がひとつ、彼女の頬を伝ってシーツに染みを作る。

「ふっ・・・・・・ふふふふ。」

短く息を吐き出し、彼女の唇が弧を描いた。
引き攣る喉を鳴らして笑ったの瞳から、もう一粒涙が零れ落ちた。

「流石デビト。ありがとう。それから・・・・・・今の言葉、約束ね。」
「あぁ、勿論だ。」
「あ、もうこんな時間。朝食冷めちゃってるだろうけど、ほら、デビト。早く起きて行きましょう?私もお腹空いたわ。」

左腕に嵌めた時計を見て、デビトから体を離したが言う。
もう全員が朝食を済ませ、それぞれの仕事に出かけていたとしてもおかしくはない。
それを知ってか知らずか、デビトはベッドから降りようとしたの腕を掴み、そのままシーツの中へと引きずり込んだ。
が非難の声を上げるも、彼には届いていないようだ。

「今お前に必要なのは、朝食よりも睡眠だろォ?俺もまだ寝たりねぇー・・・もう一眠りしようぜ?なァ、。」
「ちょっ、デビト!!」
「あーあー、うっせぇうっせぇ!黙って寝ろ!!」

荒々しい言葉遣いとは逆に、デビトの手のひらが優しくの瞼を塞ぐ。
視界は遮られ、抱き締められた体は温かく心地良い。

「大丈夫だ、。」

「何が」と聞き返そうと口を開いただったが、心地良く響くデビトの声とシャツ一枚隔て聞こえてくる鼓動の音に、そっとその唇を閉じる。
そしてゆっくりと瞼を降ろした。












「ねぇ〜、マーサ。そのオムレツ食べていい?」
「ダメだよ、パーチェ。これはあの子の分なんだから。」

が食堂を出てすぐ、パーチェはワゴンに乗せられたデビト専用のオムレツに熱い視線を注ぎながら言った。
呆れた様子でダメだと言うマーサは、すぐにでも戻ってくるであろうのために、彼女の好きなオニオンスープを取り分けようとスープボウルを手に取る。

とデビトなら、きっとしばらく帰ってきませんよ・・・・・・うぅ・・・」
「ルカちゃん・・・泣くくらいなら止めれば良かったのに。」
「止めましたよ!!でも、無視・・・・・・無視するなんて!ー!!」

泣き叫ぶルカを横目に、パーチェがマーサの脇をすり抜けてオムレツの乗ったプレートを手に取った。
「あ!」と言う間も無く、オムレツはパーチェの胃袋に収まる。
もごもごと咀嚼をする間、マーサは仕方が無いとばかりにワゴンを押して厨房へと戻って行った。
きっと新しいオムレツを作りに行ったのだろう。

、酷い顔色だったねぇ〜。ゆっくり眠れてるといいね。ね、ルカちゃん。」
「はぁ・・・・・・デビトのことです。大丈夫でしょう。・・・・・・・・・っ!やっぱり癪ですけどね!!」

「お昼になったら起こしに行きますからね!!」と言い残し、ルカは食堂を後にした。
山盛りのフルーツを片手に、パーチェはその背中を見送る。

「起こしに行かないくせに。」

ぽいっとキウイを口に放り込んだパーチェは、その甘さのためかそれとも別の何かか、にっこりと笑みを浮かべ今日の仕事へと向かうのであった。







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