目の前に散らばった書類を順に集め、綺麗に端を揃える。
トントンと軽い音が響けば、木目が美しいダークブラウンのデスクが小さく揺れる。
気にも留めず次の書類へと手を伸ばそうとしたは、確かに今しがたまで目の前にあったはずの紙切れの感触を指先に得ることが出来ず首を捻った。
それでも視線を上げることなく、何度も手のひらをデスクに這わせ続ける。

「どうしたんだ?。」
「ん、ここにあった書類・・・・・・って、ダンテ。取るなら取るって一言・・・」
「ん?あぁ、すまない。」

彼女が探していた書類は今まさにダンテの手の中。
彼は左手に持った書類に目を通しながら、目の前で大きな溜息を吐くを見ることもせずに豪快に笑った。
「もう・・・」とが息を吐く。

諜報活動のため島を離れ、彼が館へ戻ってきたのはつい数時間前のこと。
そんなダンテが疲れていない訳が無いと、こうしては手伝いを申し出たのであるが、こうも何でもないことのように仕事を端から片付けられてしまっては、自分がここに来た意味が無いのではないかとは小さく肩を竦める。
そんなの様子を見たダンテは、何を勘違いしたのだろうか、「疲れたのか?」などと口にした。

「ダンテの方こそ疲れているんじゃなくて?航海から戻ってきたばかりじゃない。こんな書類私一人で何とかなるんだから、少しくらい休んではどうなの?」
「はっはっは。これは俺の仕事だ。一人に任せて休む訳にもいかんだろう。」

サラサラとペンを走らせ、ダンテが笑う。

「部下に仕事を任せるのも、上司の務めだと思うんだけど・・・・・・」
「何か言ったか?」

首を横に振ったは、再び大きな溜息を吐いた。
諜報部に所属していないとは言え、幹部長補佐という肩書き上、はダンテの部下に当たる。
それなのにこうして仕事ひとつ任せてもらえないのかと、は肩を落とした。
いつものことなのだが、こうも続くと寂しくも感じる。

「少し休憩にするとしよう。あぁ、そうだ。今回の航海で良い豆が手に入ったんだ。」

楽しそうに話しながら席を立ったダンテの背中を慌てて追う。
幹部長執務室の奥、控えめに備え付けられた簡易キッチンの前でようやく、はダンテの背中を捕まえた。
「どうしたんだ?」とダンテが振り返った。

「どうしたんだ?じゃないわよ。カフェくらい私が淹れるから。ダンテは座ってて。」

ダンテの手からコーヒー豆を奪い取ろうとするが、ひょいっと腕を上げられてしまえばがいくら手を伸ばしたところで届かない。
長身な上にヒールを履いているとは言え、それでも身長差は20センチ以上もあるのだ。
頭上で楽しそうに笑うダンテを半眼で睨みつけると、彼は更に声を上げて笑う。

「せっかくこんなにも美しい女性が部屋に来てくれているんだ。カフェの一杯くらいご馳走させてくれ。」
「はぁ、もう・・・・・・呆れた。」

キッチンの壁に凭れ、が呟いた。
大きな背中に阻まれ彼の手元を見ることは叶わないが、その手際が良いことだけは音でわかる。
豆を挽く音が耳に心地良く響き、湯気と共にふんわりと膨らむ香りに、は自然と表情を緩めた。

「さぁ、シニョリーナ。」
「・・・・・・もう。」

仰々しく差し出されたカップを受け取り、は苦笑を浮かべた。
そのままカフェチェアへと腰を下ろすと、同じようにダンテが向かいに座る。
香りを楽しむようにカップを揺らし、一口含むとこくのある苦味が口いっぱいに広がった。

「美味しい!」
「はは、そうだろう?こうやって喜んでもらえれば、交渉の苦労も報われるもんだ。」
「ふふ。ありがとう。」

ダンテも同じく一口飲み、「うまい!」と声を上げた。
それと同時に大きな欠伸が彼の口をついて出る。

「ほら、ダンテ。やっぱり疲れてるんじゃない。あとは私がやっておくから。」
「いや、しかしだな。部下とは言え、女性に仕事を押し付けるなど・・・・・・」
「はぁー・・・・・・まったく、私のこと女性扱いするのなんて、ダンテくらいなものよ?」

目の前で欠伸を噛み殺していたダンテが、「何を言い出すんだ?」と言いたげに眉間に皺を寄せた。
逆に「なんでそんな表情をするんだ」とばかりに、は首を傾げる。

「アイツらだって、のことを女性扱いくらいするだろう?」

スーツの内ポケットから取り出した葉巻をカットしながら言うダンテに、は大袈裟に首を振って否定した。
ダンテの言う"アイツら"の顔が3つ、の頭の中に並ぶ。
物心がついた頃から一緒に居た、ルカ、パーチェ、デビトの3人だ。
葉巻の煙が匂い始めた頃、は声を上げて笑い始めた。

「無いわね。あれは女性扱いなんかじゃないわ。」

愉快そうに笑うが、再びカップに口を付ける。
コクリとエスプレッソを飲み下した彼女が小さく何かを呟いた。

"ただの妹よ・・・"

耳に届いた呟きに、今度はダンテが溜息を吐いた。

「不満か?」

が顔を上げる。
先ほどまで浮かべていた楽しそうな笑みは影を潜め、代わりにどこか困ったように眉を下げて微笑んでいる。
細く長い呼吸の後、はふっと自嘲気味に笑った。

「不満なんてとんでもない。一気に3人も兄が出来て、私は幸せよ?」
「・・・・・・ふむ。だったら、どうしてそんな顔をするんだ。」

ダンテの呆れたような声に、今度こその顔から笑みが消えた。

「これ以上の幸せを望んではいけない、とでも思っているのか?」
「パーパとマンマが居て、お嬢様が居て。ファミリーが・・・家族が居て、頼れる上司が居て、頼れる部下が居て。島の皆も良い人ばかりで、毎日が楽しくて。私は幸せよ、ダンテ。これ以上にどんな幸せを望めば良いのかしら。」
「まだ大切なことが残っているだろう、。」

ダンテが「気付いているだろう?」と、追い討ちをかける。
の手に包まれたカップの中で、ちゃぷんとエスプレッソが跳ねた。

「これ以上・・・・・・望めない。」
「そんなことはない。」
「でも・・・・・・」
「幸せに限りなど無いんだぞ?」

が息を飲む。
じっとこちらを見つめるダンテは、穏やかな笑みを浮かべている。

「心配するな。あんな風だが、"アイツは"ちゃんとお前さんを大切に想っている。妹としてだけじゃなく・・・一人の女性としてもだ。」
「っ・・・・・・」
「さぁ、残りの仕事を片付けてしまおうか。」

すっかり空になったカップを手に持ち、ダンテが席を立った。

のおかげで夕食までには終わりそうだ。」

向けられた大きな背中をじっと見つめる。

"まだ大切なことが残っているだろう?"

「望んでも、いいのかな・・・・・・」

かすれるような呟きに、ダンテが「ん?」と反応を示した。
「なんでもない」と返したは、一気にカップを呷る。
冷めてしまったエスプレッソは酷く苦く、しかしそれは曖昧に散ってしまった思考を掻き集める手助けをしてくれる。
ふっと息を吐いたは、手早くカップを片付けると、ダンテの後を追った。

「ダンテは本当にイイ男ね。」

ゆらゆらと揺れる大きなコートが、驚いたように跳ねた。
振り返ったダンテが、満面の笑みを浮かべるの姿を捕らえる。
にやりと彼の口角が上がった。

「惚れるなよ?」

「ダーンテな!」とお決まりの台詞を言ったダンテが執務デスクへ戻ると、心底楽しそうに笑ったも同じようにデスクへと腰を下ろした。

彼が言う大切なこと。
女性としての・・・幸福。

胸のつかえはまだ取れないけれど、少しは軽くなったような気がした。
今夜は久しぶりに外に出てみよう。
夜の彼はどこに居るのか謎に包まれているが、きっと探せばすぐに見つかるだろう。
向こうから出てきてくれるかもしれない。

それにはまず・・・・・・

がダンテの手から書類を奪った。
面を食らったように口を開けるダンテに、今度はがニヤリと笑う。

「ダンテ。あなた、数字弱いでしょう?そっちの書類は私が処理するから、ダンテはこっちをお願い。」
「ふっ・・・言うじゃないか。」

執務室にサラサラとペンが走る音と、二人の静かな呼吸音のみが響く。
夕食会まであと1時間。
仕事はすぐにでも片付きそうだ。













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