車には乗れないから、移動はできるだけ徒歩で。
きっと今の自分の顔色は、周りの目から見て最悪なのだろう。ちらりちらりと様子を窺うような視線が、紙袋を抱き締めるようにして座席で小さくなるへと注がれている。ついさっきなど、「大丈夫ですか? 車掌さん呼びましょうか?」などと若いOL風の女性に声をかけられたところだ。
「(やっぱり……誰か、ついてきてもらった方がよかった、かな?)」
そんな風に考えながら、“誰か”を思い浮かべる。派手な金髪に、派手な袈裟。シルバーアクセサリーをじゃらじゃらと身に着けた姿が頭の中に浮かんだ。が、一瞬にしてその姿が掻き消える。今日のこの外出は、要にバレてはいけないのだ。
「ぁ……」
くらりと一瞬、視界が歪んだ。薬は服用済みで、眠気がするわけではない。どうやら電車の揺れに酔ってしまったようだ。くらくらと体が揺れる。気持ちが悪い。
「ふぅー……」
ベンチに腰掛け大きく息を吐き出すと、少しだけ楽になった気がする。ひんやりとした空気が心地良い。すぅっと息を吸い込みながら空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。
「おい」
暖かい陽の光が何かに遮られ、の顔に影がかかる。明らかに自分に向けられた声は、聞き覚えのあるものだったが、その声の主はが振り返るよりも早く次の言葉を紡いだ。
「オマエ、こんなところで何してんだ」
どうして? とでも言いたげなの表情に、朝日奈家七男、棗がハァっと深い溜息を吐いた。
「一人で出かけて、あとで怒られてもしらねーぞ」
棗の言葉に、うーんと首を傾げていたが「なるほど」と手を打った。
「なっちゃん……。心配、ありがと」
やっぱりコイツは苦手だ、と棗は思う。琉生と似た不思議な空気を纏っているが、琉生以上に何を考えているかわからないのだ。三番目の兄に言わせれば“一番わかりやすい”らしいが、棗にはその言葉の意味すら理解できない。
「あのね……今日はカナちゃん、一緒じゃダメな日」
不在なら仕方ないな、と要は納得するが、「ちがう」とが否定する。
「カナちゃん、今日はお休み。家にいるって言ってた」
苛立ちが徐々につのり、無意識に棘のある言い方をしてしまう。だが、は気にも留めていないのか、じっと手元にある紙袋の中を見つめていた。ベンチに座るを見下ろすような形で、棗も紙袋の中身を覗き込む。
「なんだ、これ。布か?」
こくりとが頷く。
連絡があったのは昨夜。
「で? その生地で、かな兄に何作るんだ?」
の隣に腰掛けた棗が、タバコに火を点け一口吸い込んだ。そんな彼の横顔を、はじぃっと見つめる。普段はぼんやりとしている目が、ほんのわずかに見開かれていた。
「あのな……今の話とソレ見せられて、わからないワケないだろ」
カサリと紙が擦れ合う音が小さく響いた。薄葉紙の包みを取り出したは、それを膝の上で広げると、ふっと笑みを浮かべた。まるで気持ちが安らいだかのような笑みだ。嫌でも視界に入ってくるその色に、まるで眩しいとでも言いたげに棗は目を細める。
「この色……アコナイトバイオレット。なっちゃん、知ってる?」
ふるふるとが首を振る。「このヤロ」と思うが、棗は口に出さなかった。出したところで無駄なことはわかっているので、口角を引き攣らせるだけに留める。
「アコナイトは、トリカブトのこと」
そうは言ったものの、棗は反論できないなと思った。破天荒で軟派者の兄の姿を思い浮かべる。なるほどぴったりだ。思わずニヤリと笑う棗だったが、そんな胸の内を読んだかのように「ちがうよ、なっちゃん」とが呟くように言った。
「トリカブトはね、毒草。だけど、薬にもなる。……たしか、強心と鎮痛。私には両方、必要。だから……カナちゃんは、わたしのトリカブト。いつも一緒じゃないと……困る」
本当のことだからと呟き、広げた生地を丁寧に折畳みながらが微笑む。
「……俺も、オマエみたいにはっきり言えりゃ――」
電車がタイフォンを鳴らしながら駅を通過する。プァーンと間の抜けた音が、棗の呟きを掻き消した。
「……? なっちゃん、今、なにか言った?」
じっと見上げてくるに、棗はぎょっとした表情を見せるが、それも一瞬のことだった。棗の口角が上がり、大きな手のひらがへと伸びる。わしゃりわしゃりとの髪をひとしきり掻き混ぜた棗は、最後にぽんぽんと頭を軽く叩いた。まるで小さな子どもをあやすかのような手つきだ。
「オマエはかな兄のこと、本当に好きだな、って言ったんだよ」
きっぱりと即答するに棗は、またもや大きな溜息を吐いた。
「それ、本人の前で言ってやれ」
の返答に嫌な予感を感じ、棗は恐る恐るそう尋ねる。うーんと少し首を傾げて悩む素振りを見せたが、「優しいカナちゃん、好き」と、つい先日本人を前にして言ったセリフを口にした。
「なんか俺、かな兄が気の毒になってきた……」
棗が表情を大きく歪め、ぽつりとそう零す。「気の毒?」と鸚鵡返しのようにが言うが、それに棗が反応することはなかった。
「ねえ、なっちゃん……」
勢いよく振り向いた棗は、これでもかと顔を顰めていた。「オマエ……」と呟く声はわずかに震えているように聞こえる。
「本気でめんどくせぇ!!」
そんな棗の叫び声は、ホームを通過する回送電車に掻き消されて消えた。
Aconite-Violet
「……あ、なっちゃん」
苛立ちを隠さず、吐き捨てるように棗が答える。
「どうしよう。カナちゃんから……電話、きた」
わずかな焦りを含んだの声とその内容に、棗はひくりと口元を引き攣らせた。ああ、これは自分も巻き込まれるコースだろうかと頭痛のし始めた頭で考える。に会ってしまった時点で巻き込まれたも同然なのだが、棗はあえて考えないように両手で抱えた頭を振った。
「もう……マジでいい加減にしてくれ……」
深い溜息と共にぽつりと零れた棗の声は、徹夜明けの朝帰りのそれよりも疲弊しきっていたのだった。
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