小さくすぼめた唇からわざとらしく煙草の煙を吐き出し、は目の前に立ち並ぶ男たちを見やった。さて、どうしたものか。ひい、ふう、みい……、と胸の内で男たちを数えながらは考えるが、残念ながらこの状況を打開する良い案は思い浮かびそうにない。
 煙草を咥え直すとピリッとした痛みが口角に走った。煙の苦味に血の味が混じりその不味さに眉を顰める。声をかけるより先に殴りかかるとは乱暴なものだ。ほんの数分前の出来事を思い出しながら、は腫れて熱をもった頬に手を当てた。指先にわずかな血が付き、眉を顰める。
 多勢に無勢。そんな言葉が頭をよぎるが、いや、少し意味が違うか、と小さなため息で浮かんだ言葉を掻き消した。

「女一人に、大の男が四人とは……」

 そう呆れを含んだ声色で呟けば、一際目立つ格好をした男がぴくりと反応を示す。

「あァン? ァんだ、テメェ」

 不自然に染められた緑色の髪がふさりと大きく動く。細い目と眉をこれでもかと歪め、下顎を突き出しながらありきたりな言葉を発し、男がを睨みつけた。次に出る言葉は恐らく「やんのか? コラ」だろうか。は今度こそ大きくため息を吐く。すっかり短くなった煙草を地面に落とし踏み消すと、「あァ? やんのか、コラ」と、残念ながら別の男が声を上げた。

「やるのかも何も、最初に手を出したのはそっちだろう」

 挑発するつもりはないが思わずそう口走ると、四人の中のリーダー格であろう坊主頭に髭面の男が、拳を握り殴りかかろうとする男を片手で制し一歩前へと出た。

「なあに、別に俺たちはお前をこれ以上どうこうしようってつもりはねぇんだ。ちょーっと言うことを聞いてくれりゃすぐに解放してやるよ」
「言うこと?」

 鸚鵡返しに問うに、男はニヤリと笑みを浮かべ頷いた。碌なことを言い出さないのだろうな、とは呆れと諦めの感情を均等に抱きながら男の言葉を待つ。

「お前、吠舞羅の幹部の女だろ? 」
「…………はあ?」

 思わぬ言葉に間の抜けた声を出してしまう。幹部の女と言われ、の頭に三人の男の顔が浮かぶが、その誰もが男の言う人物に当てはまらなかった。そもそも私は誰のものでもない、と言いたげには顔を歪める。

「一体何のことかさっぱり理解できんな」
「誤魔化しても無駄だぜ? お前が吠舞羅の参謀、草薙出雲の女だって調べっ……ぶっ! ゲハッ!」

 男が言い終わるか否かで腹を押さえて崩れ落ちた。緑髪の男がうずくまる男の名前を叫びながら駆け寄り、残りの二人がそれぞれ声を荒げながらを睨みつけるが、当のは怯む様子もなくただ半眼で男たちを睨み返すだけだ。

「誰が誰の女だと?」

 ぴくりとこめかみを痙攣させ低い声でそう言うと、腹を押さえてうずくまっていたリーダー格の男が「て、テメェ……」と唸り顔を上げた。男の腹を殴りつけた右拳をもう一度握り直し、は再び「誰が、誰の、女だ」と口にする。四人の中でも一番気の弱そうな茶金髪の男がわずかに怯む様子を見せた。

「クソッ! テメェら、やっちまえ!!」

 リーダー格の男が立ち上がると同時に声を上げる。それに応えて、彼の隣に立って睨みをきかせていた緑髪の男が、ジーンズのポケットから折りたたみナイフを取り出した。向けられた刃先は飛び出すタイミングを見計らっているかのようにゆらゆらと揺れている。
 今更ながら手を出したのは間違いだったかと思った。それでなくとも面倒くさいこの状況を自分の手でさらに面倒くさいことにしてしまったのだから。はぁー……と大きなため息が溢れる。は自分の気の短さにおいてのみ、わずかに後悔するのだった。




 は一般人だ。
 この鎮目町で産まれ、中学に上がる前に両親を亡くし、京都にある母の実家に妹と共に引き取られてからは、それなりに普通の暮らしをしてきたと少なくとも彼女自身は思っていた。
 健康的な生活をと祖母に言われては、毎朝山道や森の中を走らされ、護身のためだと言われては、合気道やら剣道やらの武道の稽古をつけられる毎日を送っていた。
 文武両道であれ。
 祖母の教えは武のみにあらず、勉学においても厳しさを見せた。府内トップの高校に進学させ、成績は常に上位をキープすることは当たり前。卒業後は大学に進学せず、家業を手伝いながら祖母自身に経営のイロハを叩き込まれる日々を送っていた。祖母曰く、大学で学ぶよりも自分が教えた方が早い、とのことだった。
 そしてはそんな祖母の教えに反してよくサボった。走り込みも武道も勉学も嫌いではなかったが、ただ彼女は気が短く面倒くさがり屋だったのだ。
 朝の走り込みをサボっては怒鳴られ、武道の稽古をサボっては竹刀で殴られ、授業をサボった時においては首根っこを掴まれ引き摺られながら学校へ連れ戻されていた。その度にも抵抗を忘れなかったが、一度として祖母に勝てたことはなかった。怒鳴り返しても口で負ける。殴りかかっても軽くいなされ、逃げたところですぐに捕まってしまう。
 昔たった一度だけ、祖母になぜ諦めないのかと尋ねたことがあったが、「負けるのは悔しいだろう?」と彼女はからからと笑うだけだった。悔しさからまた手を出し、そして投げ飛ばされた。
 自然と体が動いてしまったのは祖母の教育のせいだと、自身の気の短さを誤魔化すように肩をすくめる。この場に祖母がいれば、人のせいにするもんじゃないよと言ってまた殴られるだろうと思い、は薄っすらと笑った。

 空気が揺らいだからだろうか。ジャリっと砂を踏みしめる音と共に、ナイフを持った男がいけるとでも思ったのだろう、声を発しながら飛びかかってきた。攻撃をする際に声を発するなど、避けてくださいと言っているようなものじゃないかと思いながら、は男の攻撃を避けた。いや、ただ避けるだけではない。胸の前を通り過ぎる男の腕を掴み、伸びた肘に向かって膝を蹴り上げた。関節の外れる嫌な音と声にならない悲鳴が同時に聞こえ、そのすぐ後にカランとナイフが落ちる音が響いた。
 あと三人か。負傷した腕を押さえて倒れる男に見向きもせず、は“そうなることが当たり前のように”起こった出来事に動揺する男たちを見やった。気の弱そうな男はすでに戦意を喪失しているようだ。実質二人となった“敵”を前にして、はさてどうしたものかとひっそり息を吐いた。

「や……やりやがったな、テメェ! もう容赦しねぇ! その綺麗な面ぶっ潰してやる!!」
「それは困る。これでも客商売してるんだ。潰れた顔では客の前に立てん」

 頭に血を上らせ怒鳴る男とは反対にの声は冷静そのものだった。
 相手は二人。二人程度であれば、稽古で何度も相手にしてきた。祖母の友人が連れていた兎の面をつけた、男とも女ともわからない者たちの姿を思い浮かべる。兎面を相手に勝てたことなど片手で数えるほどしかなかったが、それでも二対一の戦い方は己の身で学んできたのだ。それに、頭に血を上らせた相手ほど楽なものはないと、次に来るであろう単純な攻撃に備え軽く腰を落とし構える。

「おや、失礼。取り込み中でしたか」
「……は?」

 この場にいた誰もが、突如降って湧いたように聞こえた声に間の抜けた声を重ねた。
 目の前の敵の存在を忘れ、は声のした方へ視線を向け、そして瞠目した。スッと伸びた背は、それでなくとも高身長の男をさらに大きく見せているようで、切れ長の目はこの場にいる全員を威圧するかのように鋭く光っている。わずかばかりの恐怖がの胸の内に生まれ、無意識のうちにごくりと喉を鳴らしてしまった。男がすぅっと目を細める。

「貴方がたとこちらの女性。どちらに分があるかは一目瞭然。ですが、ここは紳士の嗜みとして貴女の味方をさせていただきましょう」

 眼鏡のブリッジを指で押し上げながらそう口にする男に、はハッと意識を戻した。貴女、と言って向けられた視線はこの状況を楽しんでいると言うよりも、の反応を見て楽しんでいるように見えた。
 は迷惑だとばかりに顔を顰める。手出しは無用だ、と視線で訴えるが、男はどこ吹く風とばかりにただ笑みを浮かべるのみだった。



 それからは、瞬く間、と表現するほどあっけないものだった。すっかりと戦意を喪失したらしい男たちは、余裕の笑みを浮かべた男が一歩、また一歩と足を踏み出す度に後ずさりし、三歩目にはもう尻尾を巻いて逃げてしまったのだ。情けないものだ、と思うが、この男が相手なら仕方もないか、とも思う。

「お邪魔をしてしまいましたか?」

 逃げた男たちを追うでもなく、男はへと向き直りそう訊ねた。男たちを威圧していたオーラはすっかりと消し去ったようだ。
 いや、と一言だけ返し、はシガーケースから取り出した煙草を咥え火を点けた。大きく煙を吸い込み、ため息と共に吐き出す。安堵のそれとは違った響きに、男は気付かれない程度に眉を跳ね上げた。

「それで?」
「なんでしょう」

 短いの問いに、男はとぼけるように答える。チッと大きな舌打ちが響くが、男はただニコニコと貼り付けた笑みを浮かべるのみだ。面倒くさいと思いつつも、は口を開いた。

「こんな平日の昼間に、こんな人気のない空き地を散歩とは、【セプター4】の室長とは随分と暇なんだな」
「有給休暇がたまっていましてね。せっかくの休暇なので、こちらを購入してきたのですよ」

 こちらと言いながら持ち上げた手に下げられた紙袋には、大ぶりの箱が二つ入っていた。それぞれに、“3000ピース”やら“5000”ピースと書かれていて、文字の隣には完成写真が貼り付けられている。が呆れを含んだ声で、ジグソーパズルか、と独り言のように呟いた。趣味ですから、と男が返すとそれ以上この話題が広がることはなかった。 わずかな沈黙の後、男がそれで、と口を開いた。

「貴女こそ、こんな平日の昼間にこんな人気のない空き地を散歩ですか?」
「……買い出しだ」
「こんな人気のない空き地で、ですか?」

 男の嫌味な問いかけに、は半分ほど減った煙草を携帯灰皿に放り込んでやり過ごした。嫌な男だ。これ以上相手にしていられないと、は携帯灰皿を乱暴にポケットに突っ込み男に背を向けた。

「店がある。私は帰るぞ」
「また、お邪魔させていただきます。ああ、さんにも宜しくお伝えください」

 面倒くさいとばかりにひらりと手を振って答えたの背中に、それから、と男が言葉を続けた。まだ何かあるのかと振り返ったをその目に映し、男は自分の頬を指差す。

「酷く腫れています。手当てを忘れないでください。女性が顔に痕を残すものではありません」

 言われなくとも分かっている。顰めた眉がそう答えているようで、男は満足げな笑みを浮かべて振り返った。が向かう細い路地とは反対の、大通りへ続く道へと足を踏み出す。数歩進んだところで、ジャリっと砂を踏みしめて立ち止まる音が聞こえた。ああ、そうだった。彼女は愛嬌など皆無でぶっきらぼうであるが――。
 振り向いた男との視線が交わる。

「悪かったな、宗像。助かった」
「いいえ、お役に立てたのであれば何よりです。では、お気をつけて。さん」

 ぶっきらぼうな感謝の言葉に、男――宗像礼司は貼り付けていた笑みを深める。

 ああ、やはり彼女は――は面白い。

 が去って行くのを見届け、宗像も再び歩き出す。口元に浮かんだ笑みはさらにその色を濃くしているように見えた。









 









「お、やっと帰ってきおったか。おかえり、遅かったやないの……って、ちゃん?!」

 店へと続く坂を下りきったは、面倒くさい奴に捕まったと言いたげに思いきり顔を顰めた。ちょ、その顔どないしたん?! まさか誰かに殴られたんとちゃうやろな!! と捲し立てる草薙を横目に、ポケットからキーケースを取り出すと、その内の一つをドアの鍵穴へと差し込む。右に捻れば解錠されるのだが、その手は重ねられた草薙の手によって遮られてしまう。不機嫌そうに振り返ったの顔を見て、今度は草薙が顔を顰めた。
 白い滑らかな頬が赤く染まり痛々しく腫れている。一部は赤を通り越して紫がかっており、わずかだが血が滲んでいる。一目で殴られた痕だと草薙は理解した。それも平手打ちなどではなく、握った拳で、だと。
 ふつふつと湧き上がる怒りを抑え込むように草薙が静かに口を開いた。

「誰にやられたんや? ちゃんと答え」

 驚くほど冷たい草薙の問いかけに、それでもはその答えを持ち合わせてはいなかった。誰に殴られたのかと聞かれたところで、逆にこちらが聞きたいくらいだと思う。そんな彼女の考えを知ってか知らずか、草薙は何も答えないの手を引いて歩き出した。鍵がその役目を果たすことなく、ずるりと鍵穴から抜ける。サインプレートは『CLOSED 』のままだ。
 十歩足らずの距離を大股で進み自分の店のドアを勢いよく開けた草薙は、黙ったままのをソファーへ座らせると、ちょお待っとき、と言い残して二階の部屋へと消えてしまった。ガサガサと何かを探す音と、それに続いて蛇口から水が流れる音が微かに聞こえる。

「おまっとさん。ほら、とりあえずこれで顔拭き。血ぃ付いとるわ」

 降りてきた草薙は治療の準備をする間に冷静さを取り戻したのか、その声色は先ほどに比べて柔らかさを取り戻していた。水で濡らしたタオルを素直に受け取り、腫れているだろう頬に当てると鈍い痛みが走る。思わず顔を顰めると、ああそないに乱暴にせんと、との手からタオルを取り上げた草薙が困ったように眉を下げた。

「ん、綺麗に……はなっとらんけど、血は取れたわ。ほなこれで冷やして」
「……ん」

 保冷剤を受け取り、今度はゆっくりと頬に押し付ける。痛みはあるものの、それ以上に熱をもった患部が冷やされる感覚が気持ちが良く、ようやくの口から安堵のため息がこぼれ落ちた。

「落ち着いたか?」
「ああ、……すまない」

 草薙の言葉でようやく自分が興奮状態にあったことを理解した。唐突に殴られ、見知らぬ男たちを相手に一発だけだが拳を振るったのだから仕方のないことだろう。

「目の奥ギラギラさせおって。食い殺されるかおもたで」
「それは悪かった。が、殺気立ってたのはお前も同じだろう」
「そらしゃーないわ。買い出し行くって言うて出てから全然帰ってけーへんし、心配なって外で待ってたらこないな傷こさえて帰ってきおって」

 腹立てんなって方が無理な話やろ。保冷剤越しに殴られた痕を指差しながら草薙が長いため息を吐いた。肺の中の空気を全て吐き出すようなため息の後、そんで……と前置きをした草薙が、の目を真っ直ぐに見つめた。その真剣な色は誤魔化すことを許さないようだ。

「誰にやられたんや? 知ってるヤツか?」

ふるりと首を横に振り、見たこともないヤツらだ、と答える。

「ヤツらて複数人かいな」
「ああ。四人組だったな」

四人組と言っても、一人は終始怯えていて使い物になっていなかったが、余計な情報だろうとがそれを口にはしなかった。

「振り向きざまに一発殴られてな。恨みを買った覚えはないんだが……あ、」
「あ、って、なんか心当たりでもあんのか?」
「ああ、いや……」

そう言って口ごもり視線を外したに、草薙は何でもええから言い、と先を促す。

『誤魔化しても無駄だぜ? お前が吠舞羅の参謀、草薙出雲の女だって調べはついてるんだ』

 途中で殴ってしまったせいで最後まで聞き取れなかったが、こう言いたかったのだろう。思い出しては眉間に深い皺を刻んだ。もう一度あの坊主頭に会ったなら、何をどう調べてその結論に至ったのかを聞き出したいくらいだと思う。 ちらり、と先ほどから痛いくらいに見つめてくる草薙の顔を覗き見る。どないしたんや? と草薙が小首を傾げるが、男の言った言葉を伝えるのは何故か躊躇われた。故に伝える言葉は一つだけ。

「ヤツらは吠舞羅の名前を知っていた。恐らく私のことを関係者か何かだと勘違いしたんだろう」

 ぐっと草薙が息を飲む気配がするが、は気づかないふりをした。自責の念に駆られるのは勝手だが、私のいないところでやってくれ。流石にそんな言葉を心配をしてくれた相手に投げつけるのは憚られたのだろう。

ちゃん……その、」
「髭面のハゲと緑頭と茶金髪の気の弱そうな男。それから特徴らしい特徴のない細身の男の四人組だ」

 悪いと思うなら見つけ出してどうにでもしてくれ。暗にそう言って、は草薙を見やる。
 殴られた痕の痛みより、保冷剤の冷たさによる痛みが強くなってきた。もうそろそろ大丈夫だろうと、は手を下ろした。まだ痛々しい色をしているが、二、三日もすればマシになるだろう。
 さて、そろそろ店に戻るか。そう言って立ち上がろうとしたが小さく声を漏らした。どないした? と声を掛ける草薙には困ったように眉を下げる。彼女がこんな表情をするのは珍しいことで、なんやどうしたんや、と草薙は己の胸をざわつかせた。

「……悪いが草薙。にバレると厄介だ。誤魔化すのを手伝ってくれないか」
「ああ……せや、一番厄介な問題が残っとるやんけ……」

 一番厄介な問題。それはの妹であるにこの痕をどう説明するかということで。殴られた、などと素直に言えばどんな大変な事態になるのか、想像することすら憚られるほどに恐ろしい。
 到底答えが出そうにない問題に、いい大人が二人、ウンウンと唸りながら頭を抱えるのだった。



 そして、その三日後。
 曰く、『髭面のハゲと緑頭と茶金髪の気の弱そうな男。それから特徴らしい特徴のない細身の男の四人組』が草薙と吠舞羅のメンバーによって捕まえられの前に引きずり出されたのだが、草薙の隣に並ぶの姿を見た坊主頭が、「テメェ、やっぱり草薙出雲の女だったんじゃねぇか!!」と怒鳴ったことにより、が草薙に問い詰められたのはまた別の話。







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