「あかんよ、。もうそんくらいにしとき」
ローズウッドのバーカウンターを見つめながら琥珀色の液体が注がれたグラスを傾ける女を、Bar HOMRAのマスターである草薙出雲は静かに窘めた。口を噤んだまま答えないと呼ばれた女の代わりに、溶けた氷が崩れてカランと小さく音をたてる。綺麗に噛みあわない氷とグラスが、の震える手に揺らされ音を響かせ続けた。
「……草薙さん……」
ようやく口を開いたかと思えば、喉の奥が焼きついてしまったかのような擦れた声に、草薙は憂いの色を帯びた目を伏せる。こんなになるまでどうして我慢するのかと。
「……何も……私は何も……ただうずくまって……何も出来なかった……」
“第七王権者 無色の王”
「夜景なんて明日でいいじゃないって……今日は店にいようよって言ってれば……」
奥歯を噛み締める微かな音が草薙の耳に届く。
「多々良くんの体から力が抜けて……それでも血が止まらなくて。あの綺麗な眼が曇って、私ッ……」
駆けつけた草薙と八田がぐったりと横たわる十束の名を呼び続ける声も、あの耳に慣れた「へーきへーき、なんとかなるって」の言葉も、どこか遠い場所で鳴っている現実味のないサイレンの音のようで。
――やめて! 多々良くんを連れてかないで!! やめてッ! やめてよ!!
ようやく到着した救急隊員の腕によって十束の体が引き剥がされてようやく、は声を荒げただ狂ったように魂の抜けた体に縋りついたのだった。草薙と八田が止めなければ、もしかすれば最悪の状況になっていたかもしれない。救急隊員たちはこの場所にこなかった……といった形で。
「……まだ温かかったの……多々良くんの体。しんッ……しんじゃったなんて……信じられなくてッ」
湯気の立ち昇るカップがの前に置かれる。
ひとつ……ふたつ……みっつ……
「せっかく淹れたミルクティーがしょっぱぁなってまうよ」
草薙が守ったのは、涙が注がれ続けるミルクティーだろうか。煙草の匂いが染みついた指先が、の目尻をそっと撫でる。
「みんなは……草薙さんはッ……いなくならないで…………ひとりにしないでッ……」
嗚咽に混じって言葉になりきらないの声が響く。
「ひとりになんてしたりせーへん。大丈夫や、。お前がひとりになりたい言うたかて、そんなこと俺が許さへんよ」
上を向いたの顔は酷いものだった。生気のない眼から、そこだけが生きているかのように涙が流れ続け、撫で続けた瞼が赤く腫れている。
「あぁ、ほんまや。……ほな、こうしよか。約束破ったら――」
こくりとが頷く。
「……絶対に離さないよ。成仏したくたって、その魂も離してなんてやらない。冷たくなって……腐って干からびて骨になって……そこでようやくその骨を、」
この手で灰にしてあげる
「あーあ、うちの姫さんは怖いお人やわ」
冗談交じりに言う草薙に、はようやくその口元に笑みを浮かべた。
「当たり前でしょ? 約束を破った代価なんて、釣り合わないくらいがちょうどいいんだから」
その奇妙なほどに綺麗な笑みに、草薙の背筋がぞくりと粟立つ。
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