コポ...

薄く開いた唇から小さな泡の粒がいくつも零れる。
酸素を求めてゆるく腕を動かすが、抵抗も虚しく仄暗い水の底から伸びた手に捕らえられてしまった。

...」

彼が私の名を呼ぶたびにこの身体は深く沈んでゆく。
胸が痛い。
喉が詰まる。
息が苦しい。
酸素が欲しくて抗うも


ああ、また息をする機会を失ってしまった。












「溺れそう。」

「ん?何か言ったか?」

「んーん、何も。」

暖炉もストーブも無い肌寒い事務所で、深くソファーに沈みこみ私は小さく声を漏らした。
読んでいた雑誌から顔も上げずに問いかけてきたダンテに一言で返して、私は履いていた靴を床へと落す。
ゴトっと意外に大きな音を立てて落ちた焦げ茶色の重い革の靴は、右足だけを残してもう片方はどこかへ消えていた。
きっとソファーの下にでも潜り込んでしまったのだろう。
さして気に留めることもなく、ゆっくりと体を横たえる。
高い天井でゆったりと回るシーリングファンをじーっと眺めてみる。
右回りに見えていたはずのそれは、いつの間にか左回りに変わっていた。
気持ちが悪くなって目を閉じると、瞼の裏で小さな気泡が弾けた。

コポリ...

息苦しくて酸素を求めるように口を開くと、生温い水が入り込んできて肺を満たしてゆく。
苦しいはずなのに、酸素が欲しいのに、それは不快さの欠片もなく、何故かこころまで 満たされてゆくようで。

「ダンテ...」

「どうした?」

ゆっくりと目を開くと、ソファーの端に腰を掛け私を覗き込むブルーの瞳と目が合う。
額に乗せられた手が冷たくて気持ちが良い。

「名前を呼んで。」

?」

「もっと...」

。」

「ダンテ。」

。」

ふっと口元を緩めて、その腰に縋るように腕を回す。

「甘えてくるなんて珍しいんじゃないのか?」

何も答えず頭を膝の上に乗せる。
ぬるりとした革の感触が頬を撫でた。
ごそごそと体を動かして仰向けに寝転ぶと、どこか嬉しそうに目を細めたダンテのブルーの瞳と、安い電球に照らされてもなお美しく輝く銀の髪が飛び込んでくる。
水の中から見る太陽はこんな輝きなのだろうか。
実際に見たこともないのに、そんなことを考えてしまう私はもうとっくに沈んで溺れて水の底で腐ってしまっているのかもしれない。

「ねぇ、ダンテ...」

「なんだ?。」

―――ああ、また

「溺れそう...」

そう呟いた私にダンテは何も言わず静かに口付けた。
重なった唇の隙間から酸素がゆっくりと、ゆっくりと入り込んでくる。

「っは、ぁ...」

離れた瞬間大きく息を吸い込むと、今度こそ肺は酸素で満たされた。








救い出された溺れる魚








ああ、これでまたあなたに溺れることができる。




「ダンテ...すき」

呟いた自分の言葉に、コポリ...
またひとつ酸素が零れた。












END








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