頬を生暖かい風が撫ぜた。
風に乗って漂う腐臭と、血の匂いに顔を顰める。
埃にまみれたコートを掃い、一刻も早くこの場から立ち去りたいと私はホルスターから銃を抜いた。

一匹

二匹

三匹目から数えるのを止めた悪魔は塵になり風に舞う。
ギャッと聞こえた悪魔の鳴き声に向かって銃を構えると、私が撃つよりも早く醜い悪魔が塵と化した。
ラスト一匹だったのに・・・邪魔をされたことに腹が立つ。
居るであろう場所を睨みつけると、嬉しそうに口の端を歪めた男が大きな月を背負って立っていた。
大袈裟な手振り付きで笑う男に銃口を向けると、さして気にした様子も無く男は口を開いた。

「よお、モニカ!俺の誘いは断っといて、こんなところで悪魔とダンスか?」

そう言う彼の背後で異形のモノが動く。
迷うことなく引き金を引くと、それは彼の頬を一筋掠め異形の額(と呼ぶには定かではないが)を撃ち抜いた。

「私はあなたの可愛いモニカじゃないの。という名前があるのをお忘れかしら?」

「おいおい、俺に当たったらどうするんだ、モニカ。」

「うるさい。当たっても死なないくせに。」

やれやれと肩を竦める銀の悪魔に悪態を吐くと、今度こそ赤で染められた屋根を蹴った。
背後で何かを叫ぶ声が聞こえるが、振り向いたりはしない。
誰かも知らない女の名で私を呼び、その姿を重ねているような男に用は無い。
銀色に輝く綺麗な髪も、真っ直ぐに見つめてくるブルーの瞳も、目が冴えるような赤いコートも、釘付けになってしまうほどの美しいダンスだって。


















家に着き、悪魔の血と埃にまみれたコートを脱ぎ捨てシャワーを浴びたのが深夜3時過ぎ。
ジャリジャリと嫌な音を立てていた髪も、今はしっとりと水気を含み艶やかに輝いている。
底を尽きかけていた貯蓄を助けるかの如く舞込んできた依頼を軽やかにこなして、夜が明けたら残りの報酬を受け取って、それで一杯飲みにでも行こうかと思い、気分は上々だったのに。

「ったく!人のことモニカモニカって、一体何なのよ!!」

ガンッ!!と大きな音を立て、ミネラルウォーターの瓶をダイニングテーブルへと叩きつけるように置く。
あの男・・・ダンテのせいで気分は最悪だ。

まだ覚えてる。
昨夜のように月明かりが眩しい夜で、仕留め損ねた悪魔に背後を取られた時だった。
目の前に広がった赤と銀に目を奪われ、華麗に舞う姿に釘付けになり、そして・・・

(―――俺はダンテ。あんたの名前は?)

そう言って悪戯っ子のように細められたブルーの瞳に心を奪われた。

「な・の・に!!」

(―――ようやく見つけた。俺の可愛いモニカ。)

「誰よ!モニカって!!私はだって何度も言ってるのに!!自分から名前を聞いてきたくせになんなのよ!!」

つぅっと前髪を伝った雫が目尻に触れ、涙のように伝って床に染みを作る。
室内の暖かさで汗をかいた瓶を引っ掴み中身を一気に飲み干すが、乾きは癒されることはなかった。

ダンテは、私が依頼を受けると現れる。
それはピンチの時であったり、最後の一匹を仕留めようとした時だったり、帰ろうと地面を蹴った時だったり様々だったが、必ず私の目の前に現れ、そして

『 モニカ 』

と私を呼ぶ。
質の悪い冗談だと何度も言い聞かすが、姿も見たことの無い女が彼の隣で笑っているのを想像して顔が歪む。
あれだけイイ男だ。言い寄る女の数も凄いものだろう。
忘れられない女が居てもおかしくはない。
そんなことはどうだっていい。
ただ、重ねられてることに腹が立つだけ・・・

―――腹が立つ?・・・違う。

私はそれが悲しいんだ。

夜が明けたら報酬を受け取りに行こう。
そしてその足であの薄暗いバーのドアをくぐって、顔は恐いけど実は優しくて笑顔が可愛いマスターに思いっきり愚痴って。
そうだ。ダンテの知り合いだというビール腹の声の大きなイタリア人が居たら、八つ当たりするのもいい。
きっと彼もあの大きな声で言い返してきて、くだらない口喧嘩が終わる頃にはこの嫌な気分もすっきりしていることだろう。
趣味は悪いが、そんなのも嫌いじゃない。
羽織ったナイトガウンを脱ぎ捨てると、そのまま滑り込むようにベッドへ入った。











夜が明ければすぐに、と思ってはいたものの、目が覚めたのは陽がとっくに昇りきった昼過ぎ。
溜まりに溜まった家事を片付け、報酬を受け取りに行こうと家を出た時には既に陽は傾きかけていた。

依頼主はよほど切羽詰まっていたのだろう。
内容にしては悪くない額に懐も潤った。
これでまたしばらくはゆっくり過ごせそうだ。
小さくロックを口ずさみながら茶焦げたドアをくぐる。
カランっと取り付けられたベルが軽快な音を立て、振り向いたマスターと目が合った。

『やっほー!マスター元気?』

片手を挙げ、そう言おうと唇を『YA』の形に歪めた瞬間、私の意志とは別に自然と違う形へと変化した。

「げっ!ダンテ!」

カウンターの端に座り、ロックグラスを傾ける赤いコートの男が視界の端に入り思わず声を上げてしまう。
くるりと椅子ごとこちらを向いたダンテは、呆れたように笑いながら軽くグラスを上げた。
当然のように無視をし、ダンテとは反対側のカウンター席へと移動する。

「よお!じゃねぇか!俺っちの隣に来てくれるとは嬉しいねぇ!」

人が居ることに気付かず椅子に座ったが、声を掛けてきた男の姿を見てほっと息を吐いた。

「あら、エンツォ。たまには貴方の隣も悪くはないかなと思って。」

座ると同時に目の前に差し出されたグラスには薄桃色の液体が注がれていて、それがここの常連であることを示していた。
「ありがと、マスター」と言うとニッと口を歪めて子供のように笑う。
うん、安心する。
一口含むと、淡い色とは正反対の強いアルコールの匂いが鼻を通り抜けた。

「無視とは冷たいなぁ、俺のモニカ。」

いつの間にか私の隣へと移動してきたダンテが、そう言いながらニヤリと笑った。
カっと目の前が熱くなる。
さっきまでの気分が台無しだ。
ガタンと大きな音をたてて倒れる椅子。
叩きつけるように置いたグラスから零れた酒が手を濡らすが、構いやしない。
もう限界だ。

「いい加減にしてよ!!私はモニカじゃない!!!」

そう怒鳴ると、驚くダンテの顔に向かってグラスを投げつけ、逃げるようにバーを後にした。



「なぁ・・・お前さんもしかして言ってなかったのか?」

「ん?ああ。あの反応も可愛いだろう?」

「はぁ、まったく呆れたもんだぜ。」

「しかし、そろそろ限界だな。おい、エンツォ。ひとつ頼まれてくれ。」

「あぁ?」

残された二人がこんな会話をしていたことなんて、当たり前だが知る由もなかった。





腹が立つ腹が立つ腹が立つ!!
頭からシーツを被り、大きなクッションを殴るが一向に気は晴れない。
飲み直そうかとも思ったが、あのバー以外知ってるところなんて無いことに気付いて帰ってきた。
ベッドから部屋を見渡すと、服は散らばり靴も逆さを向き、武器なんてソファーの上に放り出されている。
起きてから折角掃除をしたのに台無しだ。
片付けて、熱いシャワーを浴びて、時間は早いがさっさと寝てしまおう。
シーツから這い出て靴を履いた瞬間、放り出されたバッグの中で携帯電話が着信を知らすメロディーを響かせた。
ディスプレイを確認すると、"情報屋"と表示され、受話ボタンを押すと陽気なダミ声が聞こえてきた。
あまりの声の大きさに眉間に皺が寄る。

「声が大きいわ、エンツォ。」

「まあ聞けって!!聞き逃すと損するぜ??」

回りくどい言い方はこの男の悪い癖だ。
眉間の皺が更に深くなり、大きな溜息が出た。

「はぁ・・・もう、なんなのよ。早く話しなさいよ。」

「お前宛の依頼だ。内容も報酬も文句ねぇ!!受けなきゃ損だぜぇ!!」

私を指定してくるなんて珍しい客も居るもんだ。
でも、こうやって部屋で腐ってても仕方が無い。
依頼の内容にもよるが、悪魔狩りなら請け負おう。

「内容は?」

静かにそう言うと、エンツォは先程までの声量が信じられないほど静かに言った。

「電話では言えない。会ってから話す。」

と。






指定された場所はこの街で一番大きい図書館の前。
なぜ図書館なのかと問う私に、さぁ?と生返事を返したエンツォはそのまま受話器を下ろした。
ツー・・・ツー・・・という音がまだ耳の奥に残っているようだ。
とっくの昔に"CLOSE"の札が掛けられた図書館の前は広い公園になっており、人通りも全く無い。
それもそうだろう。
エンツォが指定してきたのは、深夜。
日付が変わって短い針が2周した時刻。

「おう、!!遅れてすまねぇ!!」

全くすまないという顔をしていないエンツォに鉛玉の一発でも食らわせてやろうかと思ったが、その考えも彼が右手に持っていたものを見て顔を顰めるだけに終わった。
街頭の灯りに照らされたのは、赤から朱色のグラデーションの花弁が美しい花束。
それは花開いたものから蕾まで様々だったが、私だって女だ。
名前を知っているその花の花束を見て溜息が出た。

「私に薔薇をプレゼントするだなんて。エンツォも趣味が悪いわね。」

「待て待て!俺っちからじゃねぇよ!依頼主からだ!!」

その言葉にピクリと反応する。
相手は女とは言え、デビルハンターに花を贈るなんてそれこそ趣味を疑う。

「この依頼無かったことにして・・・」

背筋に悪寒を感じ、断ろうと口を開いた時だった。

「この花が"モニカ"だ、。」

ぽいっと投げて寄越された花束を受け取る。
どこからどう見てもただの赤い薔薇。
でも、エンツォはさっきなんて言った?

「じゃあな、!花の意味はそこの図書館で調べろってさ!!」

さっさと立ち去ってゆくエンツォの背中を見詰めながら、私は動くことができずただ立ち尽くしていた。

(よお、モニカ!)

(ようやく見つけた。俺の可愛いモニカ。)

カっと顔が熱くなる。
意味なんて調べなくても知っている。
特に赤い薔薇の花言葉なんて。

ゴツリ・・・

アスファルトを踏む、重いブーツの音が背後から聞こえる。
薔薇の花束を握り締め、振り向くことも出来ずただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

ゴツ・・・ゴツ・・・

重い音が誰も居ない公園にやけに大きく響く。

「っ!!」

ふわりと温かい腕が背中に触れ、そのまま私の体を包んだ。

「よお、モニカ。こんなところに一人で居ると襲われるぜ?」

「だ、から・・・モニカじゃ・・・」

耳元で囁かれた言葉にも、消え入りそうな小さな声でしか抵抗できない。
彼が私のことを"モニカ"と呼ぶ、その意味を知ってしまったから。
私の顔は今、自分でも直視できないほど真っ赤だろう。

「っひゃ!!」

髪から覗く耳にちゅっと軽い音をたててキスをされ、その突然のことに変な声が出てしまった。
くっくっと喉の奥でおかしそうに笑うダンテをキッと睨みつける。
しまった!
そう思った時には遅かった。

「そんな表情もそそるな。」

くるりと体の向きを変えられ、正面から顔を覗き込まれた。
目を合わさないようにと、ダンテの胸に顔を埋め最後の抵抗とばかりに肩をどんっと叩いてやる。

「その様子じゃ、ようやく伝わったみたいだな。モニカ。」

「ダ、ンテが、遠まわしすぎるのよ・・・」

顔を上げることなく、くぐもる声にも構わずそう言うと「お前が鈍いんだ。」と返されてしまった。
悔しくて恥ずかしくて、またダンテの肩を叩こうと腕を上げたら簡単に捕まえられてしまう。
あっ、と私の口から小さく声が漏れて顔を上げたら、真剣なブルーの瞳と目が合った。

「いまさら・・・」

「ん?」

「いまさら、冗談だなんて・・・言わないよね?」

目を逸らさずにそう言うと、ダンテが僅かに目を見開いた。

「モニカは本当はダンテの大事な人で・・・それで私と重ねてるとかじゃ、ないよね?」

何も言わないダンテに、目頭が熱くなる。
じわりと滲んだ視界と、つんと痛む鼻。
唇が震えて、声を出そうとすると喉が熱い。

「わたし・・・」

―――身代わりじゃないよ?

そう言おうとした唇は、ダンテの熱を持った唇に遮られてしまった。
固く閉じた唇を抉じ開けるように舌が這う。
小さな声が漏れて薄く開いた隙間からダンテの熱い舌が入り込んできて、私の言葉を全て飲み込んでしまった。

「お前だけだ、俺のモニカ。」

キスの間に囁かれるダンテの低い声に脳の奥がじんっと痺れた。
どちらからともつかず離れた唇が互いを惜しむかのように銀の糸が繋ぎ、それがぷつりと切れる瞬間私は口を開いた。

「だったら・・・名前を呼んで?モニカもいいけど・・・あなたの言葉で教えて?ねぇ、ダンテ・・・」

―――愛してるって言って・・・

・・・俺の可愛い愛しい。愛しているのはお前だけだ。」

目尻に溜まった熱い涙が、幾筋も頬を伝う感触がした。
拭うように、消すように、ダンテの長い指が頬を撫でる。
答えたいのに、口を開けば嗚咽しか出そうにない。
なのに・・・

「答えは?俺の可愛いモニカ。」

そんなの勿論・・・











END

薔薇の花言葉:愛、恋、美、幸福
赤い薔薇の花言葉:愛情・愛しい・・・あなたを愛する







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