道行く人の話し声、渋滞の苛立ちを代弁するようなクラクション。
そんな喧騒の大通りを抜けて細い路地に一歩踏み入れば、じめっとした湿気た臭いが鼻を掠める。
真昼間だというのに薄暗くしんっと静まり返ったここに、はようやく帰ってこれたのだと肩の力を抜いた。
1ヶ月前にかかってきた依頼の電話に、ダンテが止めるのも聞かずに二つ返事でOKを出した自分を呪いたくなったのは、現地に着いたその瞬間だったことを思い出す。
どんなに目を逸らしても視界に入ってくるのは悪魔の姿で、小さな島とはいえ一目で骨の折れる仕事なんだと確信したは回れ右をして見なかったことにしようとするも、そこには決して雑魚とは言えない悪魔の姿・・・。
なんだかんだとボロボロになりながらも、悪魔たちを使役していた魔界の住人を元居た場所に送り還したのが3日前で、その足で船を捕まえ帰ってきたのが今しがたのことだった。

「眠い疲れた体痛いシャワー浴びたいお腹空いたー・・・あー!!ジャケット破れてる!!もー・・・・・・最悪・・・」

「高かったのに・・・」と、穴が開き、裾が裂けてしまった黒いジャケットを手に項垂れると、視界の端に灰が幾つも山の様に積もっている様子が飛び込んできた。
彼も相変わらずなようだ。
はふぅっと細く息を吐き、残り少ない体力を削って頭を上げた。
毒々しいピンクのネオンが彼女の疲れた目に沁みる。
大きな溜息と共にその下の大きな扉を押すと、それは何の抵抗無く開いた。
コツコツとブーツを鳴らしながらぼろぼろのジャケットを脱ぎ、その下に隠していた得物もデスクの上に放り投げたは、

「ただい・・・・」

と言いかけて、最後の「ま」を発することなくぽかんと口を開いたまま固まってしまった。
どこから突っ込めばいいんだろう。
ヒクリと痙攣した彼女のこめかみがそう物語っていた。

テーブルの上には、積み上がった安い宅配ピザの空き箱。
床にはぐしゃりと握り潰されたビールの空き缶に、何本開けたんだと問い質したくなるほどのからっぽの酒瓶が転がっていた。
その一部は中身がまだ入っていたのか、その中身が床に散らばり幾つも染みを作っている。
すんっと鼻を鳴らすと、交じり合った酒の臭いには無意識に顔を歪めてしまう。

「・・・・・・うーん・・・」

ソファーの背もたれの向こうで何かがもぞもぞと動くのが見え、はそれを睨むように目を細めた。
今しがたデスクに放り投げた獲物をひとつ手に取る。
悪魔の血ですっかり黒く染まってしまったグリップを握ると、安電球の光を反射した鋭利な刃がぎらりと冷たく光った。
足早にソファーに近付き、背もたれ越しに中を覗き込む。
黒のインナーに赤い革のパンツ姿の大男が、逞しい胸板をゆっくりと上下させている。
それだけかと思えば薄く開いた唇の間からは小さないびきが聞こえ、は急に感じた頭痛を労るように頭を抱えた。
大男・・・ダンテの姿はだらしなさを限界まで追求したかのようで、は右手に持った大振りのナイフを勢いよく振り下ろしたくなる衝動を必死に抑えた。

「ん・・・・・・帰ってたのか、。」

薄っすらと開いた瞼の隙間から、アイスブルーの瞳が覗き見える。
ぼんやりと濁った色はの姿を見つけた途端、キラキラと輝きを取り戻すが、それに反するかのようにの瞳はうんざりとした色を浮かべた。

「おはよう、ダンテ。良い夢は見れて?」

の質問に、ダンテは首を横に振る。
どうやら頭が痛いようだ。
どう考えても二日酔いだろう。
まったく、どれだけ飲めばこんな風になるんだか。
呆れて物も言えないは、とにかく視界に嫌でも飛び込んでくる現実から片付けることにした。
ゴミはゴミ箱へ。
子どもだって知っている常識を、この半魔は何故実行できないのだろうか。
部屋の端に転がる大きなゴミ箱を引き摺り、転がるゴミたちを次から次へと放り込む。

「おい、。そんなもの後でいいからこっち来いよ。」
「・・・・・・・・・」

床から視線を上げたが、キッとダンテを睨みつけた。
コイコイと手招きをする手のひらから逸らした視線を、そのまま床へ散らばるゴミへ移動させる。
これで缶は最後だ、とソファーの足元に転がる空き缶を拾い上げる。
ぽいっとゴミ箱へ放り込み、次は瓶だと新しいゴミ袋を用意しようとした瞬間だった。

「っ・・・・・・うわ!!」

ふわりと体が浮く感覚に、が声を上げる。
明らかにいつもより高い視線と両脇に感じる温もりに、ダンテに抱え上げられているのだと理解した。

「ちょっと!!何!?降ろしてよ!!」
「降ろしてもいいんだが。なぁ、。降ろしちまったらブーツの底がトマトソースとキスするハメになるぜ?」

そろりと視線を床へ向ける。
ダンテが食べ残したのであろう宅配ピザが半分、箱に入った状態で床に転がっていた。
あのまま後一歩でも進んでいれば、ダンテが言った通り、お気に入りのブーツがチーズとトマトソースで汚れてしまうところで。
「あ、ありがと・・・」と素直に礼を述べれば、ふっと鼻で笑う声が聞こえた。

「ところで、ダンテ。」

いつまで経っても足の底に床の感触を得ることが出来ず、はぽつりと呟くようにダンテを呼んだ。
「なんだ?」と答える声は、どこか楽しそうだ。

「私はいつまで宙ぶらりんにされてりゃいいのかしら?」
「俺が満足すれば降ろしてやる。」
「ちょっ!!きゃあ!」

ダンテの答えに抗議の声を上げようとした瞬間、ぐるりと大きく視界が動き、は揺らぐ視界を防ぐように目を閉じた。
ぼすんと柔らかい音のわりに、はお尻には硬いゴムのような反動を受け、「痛い」と漏らしながらゆっくりと瞼を持ち上げた。
目の前のダンテはニヤニヤとした笑みを浮かべており、予想できたはずのその表情もこんなに突然だと心臓に悪いなとは呆れたように溜息を吐く。

「おいおい、。久しぶりの抱擁なんだ。その反応はないだろう?」
「・・・・・・こんな反応もしたくなるわよ。大体この状況を抱擁なんて言っちゃうダンテに・・・って、うわっ!!」

ソファーに深く沈みこみ膝の上にを乗せていたダンテは、半眼で文句を言う彼女の体を持ち上げ、するりと位置を入れ替えた。
背中に柔らかい感触を受け、が抗議の声を上げるが、目の前の男は喉の奥で笑うだけ。
「うわって、お前」と尚も笑い続けるダンテの頭を軽く小突いたは、そのまま額を合わせてくる彼の後頭部へと手を回した。

「抱擁ってのはね・・・・・・」

が言い終わる前に、二人の唇が自然と重なり合う。
ちゅっと小さな音をたてて離れた唇が、今度は角度を変えまるで噛み付くように重なる。
喉の奥まで届くかと思われるダンテの舌に、息が出来ずは必死にダンテの背中にしがみついた。

「ぅっ・・・・んぅ・・・・・・・んんんっ!」

いよいよ苦しさに限界が来たは、ダンテの胸板を必死の思いで押し上げる。
僅かな抵抗をみせたダンテだったが、切羽詰ったの様子に渋々と言った風に体を離した。
最後に名残惜しげにの上唇を舐めるのを忘れない。

「っ・・・はぁはぁ・・・・・・なに、すんのよ・・・死ぬかと思った、じゃない・・・・・・」
「そうは言うが、が求めてくるもんだから、これは応えねぇとと思ってな。」
「思ってな・・・じゃない!!キスで窒息死なんてシャレになんないわよ!」

唇が離れた途端にこれだ、とダンテは内心溜息を吐きたくなったが、これはこれで可愛いものだと代わりに口角を上げた。
自分の腕の中で抵抗も出来ない状況であるにも関わらず強気な言葉が飛び出る口を再び塞いだダンテは、彼女の埃で汚れたシャツに手をかけた。
所々穴の開いたそれは、引っ張るだけで簡単に破れてしまいそうだ。

「んんっ!むぅっ・・・・・・・んっ・・・・・・!!」

文句を言いたげな舌を絡め取り、のシャツの裾を胸の上までたくし上げる。
細かな切り傷や打ち身が目立つ腹部をダンテの指が撫でる度、の身体がぴくりと反応を示した。
脇腹を撫で回し、そのまま滑るように上へ上へと向かう。
胸の輪郭に沿うように下着のワイヤーを撫でた瞬間だった。

「っぅ・・・・・・ぷはっ!こんっの・・・・・・いい加減にしなさい!!!」

の固く握った拳がダンテのみぞおちを捕らえる。
ぐっとダンテが息を詰め身を引いた隙を狙い、彼女は腕の中から逃げ出すことに成功した。
咳き込むダンテのどこか楽しそうな視線がに向けられるが、怒りのせいで背を向ける彼女は気付かない。
たくし上げられたままのシャツを煩わしげに脱ぎ去ったは、そのままバスルームへと続く扉に手をかけた。
背後で「ごゆっくり」とダンテが笑う。

「・・・・・・酒臭い・・・髭痛い・・・・・・・・もう、ほんっと信じらんない・・・」
「ん?」

ぶつぶつと呟いたは、ブーツのかかとを鳴らしてダンテへと近付いた。
ソファーの上に胡坐をかくダンテの腕を掴むと一気に引き上げる。
「お?」と間の抜けた声が彼の口から飛び出した。

「髭くらい剃りなさい、馬鹿!・・・・・・・・・・シャワー・・・一緒に行くわよ!!」

手を引かれるままダンテはの後をついて行く。
勿論向かうは、先ほど彼女が開いた扉の先。
くぐる前に、くっくっくとダンテが喉の奥で笑った。
視線の先の彼女の耳が真っ赤に染まっていたからだ。

(素直じゃないねぇ)

自然と上がってしまう口角をそのままに、ダンテはひょいっと彼女を抱き上げた。
抗議の声は丸々無視する。
片手で器用に服を脱ぎ去り、の下着に手を掛けようとした時だった。

「その前に・・・・・・ダンテ、言うこと・・・あるでしょ?」

ダンテの首に腕を回して体を支えるが、むっとした表情でダンテの瞳を覗き込む。
僅かに首を傾げたダンテだったが、すぐに「あぁ」っと目を細めた。







Welcome back, My honey!!







「ただいま、ダンテ。会いたかったわ!」

が破顔すると共に、再びふたりの唇が重なり合った。







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