カツンカツンと、仕事でしか履かないハイヒールが、アスファストとぶつかり合って高い音をたてる。
同僚のミスに、自身のお人好しさ加減。
はぁ・・・っと大きな溜息が出てしまう。
左肩に掛けたビジネスバッグには、始末しきれなかった仕事がぎっしり詰まっており、ずしりと重い。
まるで、今の自分の心の様だ。

―――会いたい・・・

ふと頭に過ぎる考えに、馬鹿馬鹿しいと頭を振り、はぁっと再度大きな溜息を吐くと、はマンションまでの暗い夜道を足早に通り過ぎて行った。

「やっとのお帰りか?」

「!!!」

背後で聞こえた聞き覚えのある低い声に、はそろりと振り向く。
視線の先にはやはり見知った人物で。
今まさにの思考を支配していた人物。
月明かりに反射してきらきらと光る銀髪。
今は闇色に溶けてしまっているが、晴れ渡った空のようなとても綺麗なスカイブルーの瞳。
まるで人間じゃないみたい、と言ったに、彼は確か「半分はな。」と答えた記憶がある。
『半分は』の意味は未だに理解出来ないが、他の人間ではない何かが混ざっていても不思議は無いほどの美貌だった。
毎日を、平々凡々と生きてきたには、一生かかっても知り合えそうにない、そこらのつまらない女が言う『イイ男』というものが目の前に立っていた。

「ダンテ。またあなたなの?」

望んでいた人物が目の前に居るというのに、この口から飛び出す言葉は皮肉ばかり。

「またなの、とは。結構な言い草だな・・・darling?」

彼の軽い物言いに、思わず眉間に皺が寄ってしまう。
今から帰って、更に残りを始末してしまわねばならない。
この目の前の男に構っている暇など無いのである。
だが、その考えとは正反対に、この男と一緒に居たいという考えがじわりじわりとにじり寄ってくる。

「あなたのダーリンになった覚えはありません。忙しいの・・・そこどいて。」

にじり寄る考えを振り払い、冷たくそう言い放つと、決して広くは無い道路の彼と壁の隙間を、すり抜けようとして。

「ちょっと、放してよ!大声出すわよ!!ちょっ!!」

むぐっと口を塞がれてはこれ以上の抵抗は無駄だ。
確か初めて遭った時もこんなことがあった様な・・・。

「shh−・・・少し大人しく、って、こら!暴れるんじゃねぇ!」

最後の抵抗として、彼の脇腹に肘鉄を食らわせてやろうと腕を振り上げたが、軽く止められ無駄に終わった。
それどころか、これ以上暴れられては困ると言ったように、抱え上げられてしまう。
あぁ・・・明日の仕事どうしよう・・・と、どこか冷静な頭の片隅でそう思うが、心のどこかではこうなることを望んでいて。
は抵抗を止め、されるがままに暗い夜道を連れ去られて行った。




街頭なんてあったとしてもその電球はすでに寿命を全うし、残るはチカッチカッと最後の命とばかりに点滅するもののみ。
道端には日付も読み取れないくらいにぐちゃぐちゃになった新聞紙に、卑猥なグラビアの雑誌。
どこか遠くで野犬が唸る声が聞こえる。
ビジネス街から一歩細い路地を中に入れば、そこは所謂スラムと呼ばれる大都市の陰の姿。
本当にここは先ほどまで自分が居たのと同じ街なのだろうか、と来る度に考えてしまう。

「着いたぞ。」

ピタリと揺れが止み、静かに掛けられた声に視線を正面へと向けると、いつみても派手派手しいピンクのネオンがギラギラと輝いていた。
店主の趣味を疑う。
とは言っても、今この下に居るのがそうなのだが。
『Devil may cry』
そう輝くネオンの下の大きな両開きのドアを乱暴に足で開ける。
ここには鍵を掛けるなんて当たり前の習慣は存在しないのだろうか・・・。
つくづく自分の生きる世界とは正反対だな、と思ってしまう。
闇に目が慣れない中、ダンテは迷いも無く中へと入ってゆく。
どさりと降ろされた先は堅く、恐らくあの大きなデスクの上なのだろうと予想は出来た。
何度こうやって運ばれて、何度このデスクの上に降ろされたのだろう。


初めて会ったのは、気まぐれで入った細い路地で。
ドシャっと嫌な音を立てて目の前で崩れ去った異形の何かと、大剣を片手に立つ男。
真っ赤なコートはもともとの色なのか、その異形の血を吸って染まったものなのか。
血に染まったその指が頬を撫でて・・・

―――俺のものになれ。

一目惚れなんだと言って、攫われて今と同じようにデスクの上に降ろされて。
そこから先は、思い出すのも億劫だ。
朝になってようやく解放されたかと思えば、彼が深い眠りに堕ちている間にスルリと抜け出して家へと帰る。
それが、ほぼ毎週の日課となりつつあった。
長い時では数ヶ月は平和なのだが、大抵は週に一日、今日みたいに突然現れては攫われてしまう。
彼にとっては暇潰しの一つでしかないのだろう。
こんな平凡な女を攫ってはいいように扱って、甘い言葉で誘って。
引っ掛かればきっと・・・私の気持ちなんか無視して、捨てられるのがオチだ。

カーテンも何も無い窓からうっすらと月明かりが差込み、室内を照らしだした。
ふっと視線を上げると、ずっとそこに立っていたのだろうか。
ゆっくりとした動作で彼がこちらへと近付いてくる。
頬を包み込む右手は大きく温かくて、空いた左手は大きく弧を描きデスクの上の邪魔ものを床へと落す。
ガシャンと時代を感じさせる大きな黒電話が、床に当たって大きな音をたてる。
流れる様に覆い被さる身体はとても熱くて、その熱に侵される様に私は目を閉じた。












体中がギシギシと悲鳴を上げている。
上半身を起こすと、冷えた空気が素肌を冷やし、手近にあったシーツを手繰り寄せ身に纏う。
くしゅんと、小さなくしゃみが左から聞こえてきたが、自業自得だ。
そのまま風邪でもひけばいいんだ、と惜しげもなく晒された上半身へと目を向けた。
すぅすぅと規則正しく聞こえる寝息から、深く眠っていることが良くわかる。
長居をすれば、このまま離れられなくなってしまう。
そうなれば彼の思う壺だ。

―――今のうちに・・・え?

開け放たれた扉へと続く脱ぎ捨てられた衣服を拾うため、立ち上がろうとして左手首に違和感を感じた。

「どこへ行くんだ?。」

いつもならば、彼が眠る間に衣服を辿るように下着、スカート、シャツと纏ってゆき、扉を抜け階段に掛けられたスーツのジャケットを着込み、デスクの下で無残にばら撒かれた仕事の資料をまとめてバッグへと詰め込めば、ここに居る理由も無くなり入り口を開け放って自分の家へと帰るはずで。

「放して、うちへ帰るのよ。」

そう・・・帰ってすぐに用意しなければ仕事に遅れてしまう。
この手を振り解いて、駆け出してしまえばいつも通りの日常が戻ってくるのに。
初めての出来事に戸惑う。

「帰さねぇ。」

この手を振り解いて・・・
力強く握りこまれている訳ではない。
振り解こうと思えば、軽く力を入れるだけで十分だろう。

―――でも・・・。

こちらをじっと見詰める闇に溶け込んだブルーの瞳が、静かに呟く言葉が。
まるで呪縛のようにを縛り付ける。

―――あぁ・・・。

目を逸らせない。
逸らせば、今ここから逃げれば、きっともう二度と戻ってこれなくなる気がする。

「放さねぇ。帰さねぇ。なぁ・・・、もう限界だ。いい加減俺のものになれよ。」

熱に浮かされた熱い声が耳元で囁かれ、このだらりと重く垂れ下がった自分の両腕を彼の広い背中に回せば、身体を締め付ける腕に力が籠められた。
まさかのダンテの行為に、びくっと肩が跳ね、ツンっと鼻の奥が痛むのを感じた。

「ダンテ・・・私は。」

くぐもった声に、自分でも吃驚してしまう。
喉が焼けるように熱くて、頬を温かいものが流れてゆく。
あぁ、泣いているのか。
何故?

「私は・・・もうずっと、あなたに捕らわれていたわ。」

―――でも・・・私は・・・

「あなたから・・・ずっと逃げてた。」

・・・。」

流れる涙は止まることを知らず。
詰まる喉を必死で抉じ開け、言葉を紡ぎだす。

「受け入れれば捨てられると・・・私なんか、きっと・・・」

「何を・・・」

「ダンテは・・・」

―――遊びなんでしょ?

その言葉は紡がれることなく、暗い闇へと溶けてゆく。

「愛してるんだ、。初めてお前を見た夜からずっと。何度攫えば、何度抱けば俺のものになってくれるのか・・・そればっかり考えてた。なぁ、。お前は・・・」

「好きよ、ダンテ・・・愛してるの。」

「っ・・・!」

初めてから捧げられた口付けに、ダンテは息を呑む。
触れるように何度も何度も重ねられた唇は、次第に食むように全てを飲み込むように深くなり。
どちらからともなく離されたその間からは・・・



「「         」」



溶けるように囁き合う愛の言葉たち。

















+++


「仕事!!!ぼーっとしてた!!!!!」

「あぁ?仕事なんて辞めちまえ。それに、お前の仕事場は今からここのはずだろう?」

「そんな訳にいかないわよ!!ちょっと、ダンテ!手を放して!!」

「嫌だ。」

「子供か!!!こらっ!!はーなーせーーーー!!!!!」





―――ようやく俺のものになったんだ、放してたまるかよ。














END








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