La storia di me e lei e loro 
< 私と彼女と彼らの物語 >
16...繋がりとは







 応接室の扉を開けるなり近づいてくる四つの影に、は緊張を解くように軽く息を吐いた。
 先日のビヴァーチェ広場での出来事の後、家の執事であるジジはその約束に違うことなく、一通の書状をへ遣した。その約束の日が今日であり、そして用を終えたジジが館を後にしたのはつい数分前のことである。

「あら、お嬢様まで。待っていてくれたの?」
「う、うん……。あのね、

 どうだった? とでも聞きたいのだろう。だが、なかなかその一言が出ずに戸惑っているフェリチータに、はニコリと口角を上げ口を開いた。

「一週間後、の屋敷に行くことになったわ」

 のその一言に息を飲んだのはフェリチータだけではなかった。彼女の背後に控えるルカも、一歩後ろで静かに佇んでいたデビトも、あのパーチェですら言葉が出ない様子だ。そんな反応にはピクリと眉を跳ね上げた。

「あなた達……何か勘違いしてない?」
「かん、ちがい?」

 言葉の意味を理解できていないかのようなパーチェの声に、は呆れたように溜息を零した。

「私が家の跡を継ぐ……なんて考えてるんじゃないでしょうね、ってことよ」
「そ……そうですよね! そんなことある訳ないですよね!」

 慌てて言葉を紡ぐルカを横目で睨みつけたは、「まったく、バカバカしい」と疲労感を露わにさせると、黙ったままのデビトへと視線を向ける。不機嫌そうな表情は相変わらずだが、彼の左目は僅かに安堵したように細められており、もつられるようにふっと微笑んだ。
 マルヴェロとの一件を知っているのは、当事者であるとその場に一緒にいたデビトだけ。そんな彼の視線に誘われるように、はふぅっと溜息を吐き、唇を動かし始めた。

「ジジは……彼はただ、家の行く末を按じていただけ。余命いくばくもない主人と、視力を失った夫人。二十一年前に手放した、たった一人の子どもを捜すのは道理よね」
「なら、あのヤローは」
「ええ。ジジはただ“人捜し”をマルヴェロに依頼しただけ。それなのにヤツはそんなジジを騙して金を騙し取っていたようね。まったく……怒りを通り越して、あの小物っぷりには呆れるってもんだわ」

 やれやれと首を横に振ったは、「立ち話もなんだし入って」と今しがた出てきたばかりの応接室の扉を開いた。お茶の用意をすると言ったルカ以外が部屋の中へと入っていく。応接室に入ること自体が初めてなのだろうフェリチータは、その広さに少なからず驚いているようだ。

「で?」

 ソファーにどかりと腰掛けたデビトが、キョロキョロと室内を見回すフェリチータに微笑ましげな視線を向けているへと、端的で無遠慮な問いを投げつけた。「何が?」ととぼけたように答えるに、デビトがひとつ舌を打つ。

「あの家に行って、どうすンだって聞いてんだ」
「そ、そーだよ、。さっきの話で全部終わったんじゃないの?」

 不機嫌なデビトと焦りを隠さないパーチェを交互に見やったは、「そうね……」と薄っすらと開いた唇を動かすことなく呟いた。それと同時に彼女の背後にあった扉が開き、ワゴンを押す音と共にルカが応接室へと入ってくる。扉越しに聞こえていたのだろう、ルカの瞳が一瞬戸惑うように揺れた。
 しんっと静まり返る室内に、ルカがお茶を淹れる音が響く。

「……アルカナ能力を、使うつもりですか?」

 カップとソーサーがたてる音に視線を下げたは、琥珀の水面を見つめながらルカの問いに小さく頷く。

「でも……でも、! それって……それじゃ……」

 真っ先に反応を示したパーチェを、はティーカップに口を付けながら一瞥した。まるで睨みつけるようなその視線に、パーチェが口を噤む。彼の隣では会話の内容を理解しきれないフェリチータが、パーチェとを交互に見つめていた。

「普段は鈍いくせに、こんな時ばっかり鋭いのね」
……」

 仕方のないことだと言いたげに微笑んだは、「もう決めたのよ」と言うとまだ半分以上残っている紅茶をそのままに立ち上がった。カーテンの開け放たれた窓辺に近づき、冷たいガラスの表面に手のひらを押し付ける。背中に刺さる四つの視線から逃げるように、抵抗もなく開いた窓から吹き込む風にホッと息を吐き出した。
 心配と不安、そして僅かな憤り。振り向かずとも感じることの出来る彼らの感情に、はほんの少しの申し訳なさを胸に抱きながらくるりと体の向きを返る。感じた通りの表情を浮かべた四人の姿に、の胸がちくりと痛んだ。
 もう決めたことだ――そう口の中で呟く。

夫人は私を独りにしたことを悔やんでいたわ。しきりに謝罪の言葉を口にしてた。それから……私の幸福を祈っていると。きっと彼女は私をどうこうしようなんて考えていないのでしょうね。戻ってきて欲しいとか、跡を継いで欲しいとか……、あの家でそんな風に思っているのはジジだけみたい。夫妻はただ……ただ私が不自由なく生きてくれていればそれで良いって。そんな風にジジは話してくれたわ」
「それなら、が能力を使う必要はッ……」
「だからこそよ! ……そう思ってくれているからこそ、私の存在があの人たちの枷となってしまってる」

 声を荒げルカの言葉を遮ったはひとつ深呼吸をした後、まるで自分に言い聞かせるように静かにそう呟いた。
 「枷……」と、フェリチータが擦れた声を零す。後ろ手で窓を閉め、窓枠に背を預けたままが頷いた。

「記憶の中から私がいなくなれば、あの人たちは自由になるわ。真の意味で跡継ぎがいない本家として、その道を歩んで行ける。娘のことが気がかりでこの小さな島に縛られて絶えてしまう……少なくともそんな悲しくて空しい人生は回避できるわ」

 外海の島には家の分家がある。跡継ぎにも恵まれ、本家当主の席が空けば、自然と彼らのうちの一人がその席に座ることになるだろう。ジジが話す家の現状……そして過去に起こった実際の話がの脳内で再生される。

「幸いなことに、分家当主とその跡継ぎたちは良い人間ばかりだとジジから聞いているわ。本家当主が入れ替わろうとも、悪い方向には向かわないだろうって。ただ……」

 言葉を切ったは、その先を口にするのを躊躇っているのだろう。自分の足のつま先をじっと見つめ、口を噤んでしまった。
 ハッと小さく息を飲む声がの耳を掠める。「どうされました、お嬢様?」とルカの心配そうな声に顔を上げたは、青ざめた表情でじっとこちらを見つめるフェリチータの瞳を視界に入れると、「仕方のないお嬢様ね」と自嘲するように微笑んだ。

「ご……ごめんなさい」
「いいのよ、お嬢様。どうにも話しにくいことだから、逆に話すきっかけをくれたことに感謝したいくらい」
……」

 冗談交じりにウインクをすると、フェリチータの両目が揺らいだ。無理をしていると思われただろうか。そうではないと口にしたいところであったが、実際の胸中は穏やかではなかった。ジジから聞いた二十一年前の出来事は、彼女にとって衝撃的なことであったからだ。
 「どこから話せばいいのかしらね」と溜息混じりに言うに、誰かがごくりと喉を鳴らした。



「分家の奥方が、夫人をその身篭った子どもごと殺そうとしたのよ」



 フェリチータ以外の三人が同時に息を飲む。
 ルカは大きく目を見開き、パーチェは珍しくその眉間に深く皺を寄せ、デビトは大きく舌を打った。

「これが……私が教会に捨てられた理由よ。夫人には長い間子どもが出来なかったようね。遅れて出来た子ども……つまり私の存在が分家の奥方にとっては邪魔だったのね」
「だから産まれる前に殺すってか……それもその親ごと」

 頷くの口から何度目かもわからない溜息が零れる。

「分家当主は知らなかったようよ。まさか自分の妻が、本家の正妻をその子ごと殺そうとしてるだなんて。……物語なんかでよくある話が、まさか自分の身内で起こるなんて夢にも思わなかったでしょうね」
夫人の目はそれが原因で?」
「ええ。毒は私を殺しきれなかった。でもその代わりに夫人は視力を失ってしまったわ」

 窓枠から身を離したが、四人の座るソファーへと近づきティーカップを持ち上げる。ルカが淹れ直した紅茶はすっかり冷めていたが、乾いた喉にはそれくらいがちょうど良かった。
 細く長く息を吐き出しながらソファーに深く沈みこんだは、空になったティーカップを両手で弄びながら次の言葉を選んでいるようだ。

「……分家の奥方はどうなったのですか?」
「彼女の仕業だとわかる頃には、病で。自業自得……なのでしょうね」

 罪の意識からか分家当主も自殺を図ったが失敗したと、ジジは心なしか感情の篭もらない声で話していたことを思い出すが、はその事実を口に出すことはしなかった。

「罪滅ぼしのつもりなのかしらね。でも、援助の申し出も金品の贈与も、当主はそのすべてを断ってきたそうよ」
「フツーの神経じゃ受け取れねェだろーよ」

 やれやれと首を振りながらのデビトの言葉に、は「でも……」と言葉を続ける。

「そのせいで、本家の終わりは近いわ。当主が亡くなるのが先か、それとも……」
ことを按じてるんだね」
「……ええ、……その通りよ、パーチェ」

 きっと分家は彼女のことを悪いようにはしないだろう。むしろその逆だ。腫れ物を触るように扱うに違いない。

「それこそ普通の神経では……」
「生きていけないわよね。少なくとも、私が同じ立場だったら耐えられないわ」

 だからこそ、自分の存在を彼らの記憶の中から消すことをは選んだ。

「子どもができなかったという負目ができてしまうかもしれない。それでも、自分と自分の子を殺そうとした家の世話になるという屈辱に比べれば幾分かは救いがあると思う」
「……
「わかっているわ。勝手よね……」

 自嘲するようにそう吐き捨てたは、膝の上で組んだ指を解くとすくりと立ち上がった。

「ごめんなさいね、お嬢様。こんな暗い話を聞かせてしまって」
「ううん……ううんッ、そんなことッ……」
「あら、やだわ。泣かないで、お嬢様」

 エメラルド色の瞳からジワリと滲みでた涙が、フェリチータの頬と伝い彼女の膝を濡らす。そっとフェリチータの頬に手を滑らせたの手も見る間に涙で濡れてしまった。
 彼女は、の存在が彼女の実の両親の記憶から消えてしまうことを悲しんでいるのだろう。恋人達の能力を持たなくとも、落ちてくるフェリチータの涙からその感情が流れ込んでくるようだ。

「お嬢様……」

 空いた方の手を持ち上げ、は両の手でフェリチータの頬を包み込むと、絨毯に膝をつき視線を合わせる。
 なおも止まらない涙に困ったような笑みを零したは、彼女の両の目尻へと唇を落とした。驚きすぎたせいか言葉の出ずに固まってしまったフェリチータをいいことに、は口元の笑みを深めるとそっと彼女の額に自分のそれを合わせる。こつんと軽い衝撃に、二人は同時に目を閉じた。

「私は大丈夫よ、お嬢様。こうやって目を瞑って、家族の存在を思い浮かべてみるとよくわかるの。……ねぇ、お嬢様。恋人達の能力を今私に使ってくれないかしら?」

 大丈夫だからと指先で頬を撫でると、フェリチータはくすぐったそうに身じろいだ後、こくりと静かに頷いた。



 ゆっくりと開いた瞼の隙間から、エメラルドの瞳がのぞいた。同時に目を開けたの視線とぶつかり、フェリチータは少し気恥ずかしそうに目を伏せる。

「ね、お嬢様。わかってもらえたかしら?」

 ふっと眉を下げて微笑んだが、ほんの少しのからかいを混ぜて問う。こくんと頷くフェリチータの頬を、赤い髪がさらりと撫でた。
 その隙間からのぞくフェリチータの穏やかな微笑みは、まるでの心すべてをうつし出しているようだった。










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