Beneath the Apple blossoms
02.彼女って一体






 満足そうな笑みを浮かべてお腹をさするエルを眺めながら、はふふっと小さな笑い声を零した。すっかり片付いたテーブルの上には、良い香りの紅茶で満たされたティーカップが四つ置かれている。

のマーボーカレーおいしかった! ね、ルドガー」
「ああ、美味かった。それにしても、隠し味にすりおろしたタマネギと山椒か」
「みじん切りだけよりも甘みが出るから。山椒はこっちじゃ少し高いけど、マクスバードの市場でなら比較的安くで手に入るよ」
「なるほど。勉強になるよ」
「ううん。ルドガーこそ、料理上手なんだね。あのサラダのドレッシング、自家製なんでしょ?」

 お茶を片手に料理の話で盛り上がるとルドガー。作りすぎたと言って持ってきたマーボーカレーを朝食代わりに食べ、食事が終わる頃にはもすっかりこの場に馴染んでいた。堅苦しい話し方も、砕けたそれに代わっている。
 料理の話を楽しそうにするとルドガー、それからお腹が膨れて満足したのか、ルルと遊び出したエル。そんな穏やかな空気とは反対に、不機嫌そうなオーラを纏った男がこの場に一人いた。アルヴィンである。得意料理はなんだ、やれ隠し味にはこれがぴったりだと話が盛り上がるにつれ、アルヴィンの機嫌が悪くなっていく。「いい加減にしろよ」と言うタイミングを計るアルヴィンだったが、隣を見れば楽しそうなの笑顔があり、なかなか口にすることができなかった。

「でも、ここまで料理が出来るようになったのはアルのおかげなんだよ。ね、アル?」

 己の不甲斐無さを嘆き、宙を仰ぎながら溜息を吐くアルヴィンは、唐突に投げかけられた言葉に「は?」と情けない声を上げた。振り返るとニコニコと微笑みながらこちらを見上げるがいる。

「作ってあげたいって思う相手がいるだけで、料理って上達するものだから」

 「だから、アルのおかげ」と言うに、アルヴィンはすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。肩の力を抜きながら「おたくの料理は最初から美味かったけどな」と皮肉交じりの言葉を口にした。冗談だとわかっているからこそ、も笑って流す。この場にローエンがいようものなら「おやおや、お熱いことで」と茶化されていただろう雰囲気だ。

「ん? どうしたんだ、エル」

 二人の雰囲気に茶化しはしないものの頬をわずかに赤らめていたルドガーが、背後で慌しく動き出したエルに気づき振り返った。リュックを背負い帽子をかぶり直し、すっかり出かける準備万端のエルが、「ぼーっとしてちゃダメだよルドガー! お金返さなきゃ!」と声を上げた。

「お金?」

 引き攣った笑いを浮かべるルドガーと、そんな彼を急かすエルを前にしてが首を傾げる。なぜ唐突にお金の話が出たのかがわからず、は隣に座るアルヴィンを見上げた。

「そういや話がまだだったよな。まあ話せば長くなるんだが……」
「俺から説明するよ、アルヴィン」

 頭を掻きながら話し始めようとしたアルヴィンをやんわりと遮り、ルドガーがここに至るまでの経緯を話し始めた。エルとの出会い。アルクノアに占拠された列車内で起こった出来事。なぜこれほどまで多額の借金を背負うことになったのか。そして、列車テロの首謀者ユリウス・ウィル・クルスニクが自分の兄であることまで、ルドガーは包み隠さず全てをに話した。そこにはアルヴィンも知らなかった事実も含まれており、ヘリオボーグでの出来事へと話が移るまでは、彼もの隣でルドガーの話に耳を傾けていた。

「なるほど……何をするにしても借金を返済しなきゃ、先に進めないってことね」
「そういうこと。にしても、勝手に治療して勝手に医療費請求たあ、クランスピア社のそのリドウってヤツもイイ性格してるぜ」

 やれやれと頭を振るアルヴィンの隣で、まったくだとばかりにエルが大きく頷いた。まるで大人がするような態度に、思わず笑みが零れる。エル本人に伝えようものなら「エル、こどもじゃないですー!」と怒り出してしまいそうだ。思うだけに留め、は気を取り直しルドガーを見上げた。銀色の双眸がまるで真意を見定めるように光り、ルドガーが思わず息を飲む。

「ルドガーは、お兄さんが列車テロの首謀者じゃないって証明するために、本人を捜してるのね?」
「ああ、そうだ」

 翡翠色の瞳を迷いの色で曇らせることなく頷くルドガーに、はふっと表情を和らげた。ルドガーが無意識に張っていた肩の力を抜く。コキリと関節が軋み、一瞬のことなのにこれほどまでに緊張していたのかとルドガーは思った。

「そういうことなら私も協力を惜しまない。って言っても、戦うことくらいしか出来ないけどね」
「え? 戦う?」

 頬を掻きながら笑ってそう言うを前に、ルドガーがぽかんとした表情を浮かべた。声に出さなくてもわかる彼の思考に、がじとりと目を細める。隣でアルヴィンが「俺は知らないぞ」とばかりに目を逸らした。

「お金を稼ぐ方法だったよね? それじゃ、ルドガー。手っ取り早く稼ぎに行きましょうか。ほら、アルも」
「え? え、ちょっ、?」
「こっちに着いたばっかだっつーのに元気なこった。ま、諦めろよ、ルドガー」

 に引きずられるようにして歩くルドガーの肩に手を置き、アルヴィンが苦笑を浮かべてそう言う。「行くってどこへだよ!」とルドガーが声を上げるが答える者はいない。彼の声はただ空しく廊下に響くのみだった。





 居住区から坂を下り商業区へと向かうに、ルドガーはなんとなく察しがついたのだろう。「クエストを受けるのか?」と尋ねる。「正解」とどこか楽しげに答えるの服の裾をエルが掴んだ。

「エルたちクエスト受けたときあるよ! 貝殻とか羽根とか渡したらお金くれた!」
「納品クエストね。他には?」
「魔物もいっぱい倒したよ! ルドガーが!」

 両手を広げて嬉しそうに話すエルの頭を撫でながら、が「それならじゅうぶん」と笑う。ルドガーがまさかと頬を引き攣らせた。そんなルドガーを横目にアルヴィンが「ただの討伐クエストってワケじゃねーんだろ?」と、彼女を煽るように言う。

「うん。通常の討伐クエストは緊急性が低いから報酬も少ないの。魔物の研究をしたいから、魔物をスケッチをしたいから、果てには誰かの誕生祝いだなんてそんなのばかり。まあ、急を要する案件はクエスト斡旋所じゃなくて、別のところに直接依頼されることの方が多いから、あまり出回ってないんだけどね」
「別のところって?」
「多くはクランスピア社のエージェントが処理してるんじゃないかな。でも数が数だからね。処理しきれないものは私たちのところに回ってくるの」
「私たち?」

 ルドガーが首を傾げた。「そう言えば」と前置きをして、ちらりと視線を下げる。一歩前を歩くは、その隣に並ぶアルヴィンのせいかものすごく小さく見える。ショートジャケットの裾から覗く腰も細く、それゆえ剣帯から下がる剣と短剣が場違いのようにルドガーの目に映った。

「そう言えば? あ、そっか。私ね、傭兵をしてるの」
「ようへい?」

 聞き慣れない言葉なのか、エルが妙な発音でを見上げる。

「そう、傭兵。魔物退治はもちろん、人捜しや荷運び、変わったところだと要人警護なんてのもあったかな」
「へー、って強いんだねぇ」

 エルが向けてくる尊敬の眼差しを受け、が照れくさそうに微笑んだ。そんな彼女の頭に手を置いたアルヴィンが 「怒らすとこえぇのなんのって」と声を上げて笑う。

「剣と短剣か。同時に使うのか?」
「うん、そうだよ。それから魔じゅ……っと、精霊術も」
「精霊術が使えるってことは、はリーゼ・マクシア人なんだな」
「え? あ、うん」

 ルドガーの何気ない質問には曖昧に笑って頷くが、それが何を意味するのかをルドガーもエルも特に気に留めることはなかった。そうこうしているうちに商業区へと辿り着いたようだ。ガヤガヤと賑わう声が聞こえ始めた。
 クエスト斡旋所に近づくにつれ、その周囲の人たちの会話が耳に入ってくる。どうやら街道に大型魔物が出没しているらしく、男性二人がその魔物の討伐方法や弱点について話し合っていた。「チェリーズパイクか」と呟いたが、GHSを取り出しながらルドガーたちの方を振り返った。

「ちょっと情報もらってくるから待ってて」
「あ、エルも行くー!」

 返事も聞かずにが駆け出し、エルとルルがその後を追う。そんな彼女たちの背中を見つめながら、ルドガーがアルヴィンに声をかけた。振り返ることなくアルヴィンが返事を返す。彼の視線もまた、所員と話をするとその隣でさも話の内容を理解しているとばかりに頷くエルの姿を捕らえていた。

「不思議な人だな、って」
「そうか? 確かに何考えてんのかわかんねぇ時もあったけどな。基本はわかりやすいヤツだぜ? 楽しけりゃ笑うし、悲しけりゃ泣く。すぐに怒るわ拗ねるわ、そのくせ人一倍気ぃ遣いで寂しがりで。裏表がないっつーか、素直で人間らしいヤツだよ」

 そんな風にのことを話すアルヴィンの横顔を覗き見たルドガーが慌てて視線を戻した。彼の鳶色の瞳になんとも表現し難い感情の色が浮かんでいたからだ。ただの愛情ではない、とルドガーは本能でそう感じた。

「つ、付き合いは長いのか?」
「始めて会ったのは一年半くらい前だったか。結婚したのはちょうど半年前だ」

 出会って一年で結婚という事実に、ルドガーは驚きを隠しきれず目を見開く。詮索なんて野暮な真似はしたくないが、あれこれ聞き出したい衝動に駆られたルドガーは、アルヴィンから目を逸らすと視線を宙に泳がせ始めた。そんな彼の表情を目ざとく見つけたアルヴィンがからかうように口角を上げる。

「惚れんじゃねーぞ?」
「なっ!! ほ、惚れ!?」
「くっくっく。初心だねぇ、ルドガーは」
「うん? どうしたの、二人とも」
「わっ! なっ、なんでもない!」

 いつの間にか戻ってきたが、顔を真っ赤にして慌てるルドガーを見て不思議そうに目を瞬かせた。「ルドガー、なんかやらしー」とエルがじとっとした視線をルドガーに向ける。

「なっ、何言い出すんだ、エル!」
「ルドガー、顔真っ赤だけど大丈夫?」
「ぶっ! くくく」

 心配そうに見上げてくるの顔をまともに見ることができないルドガーに、アルヴィンは堪えきれずに吹き出した。

「もう、アルってば。ルドガーに何言ったの?」
「べっつに〜?」

 ニヤニヤと笑いながら答えるアルヴィンに「もう!」と怒って、は再びルドガーを見上げた。

「アルが何言ったかわかんないけど、ごめんね? 本当に大丈夫?」

 「大丈夫だから!」と声を上げるルドガーに「そう? 無理しないでね」と言って、はGHSに入力した情報を確認し始めた。ほっと安堵の溜息を吐いたのも束の間、アルヴィンの腕がルドガーの肩に圧し掛かった。

「でもまあ……マジで惚れるなよ?」
「っ……あ、当たり前だろ! わかってるよ!」

 声を荒げるルドガーに、とエルが同時に振る。「ルドガー、変!」と声を上げるエルの隣で、ルルがまるでバカバカしいと言いたげに「ナァ〜」と間延びした声で鳴いたのだった。









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