La storia di me e lei e loro 
< 私と彼女と彼らの物語 >
08...ギャンブルの神様







ひっそりと薄暗い裏通り。
表通りはガヤガヤと賑わっているにも関わらず、が居るこの場所は隔離されたように静まり返っていた。
歩を進めればジャリっと足の裏を撫でる砂の感触も今では慣れたものだが、初めてここに来た時はまるで別の世界に迷い込んでしまったかのような恐怖を感じたことを思い出す。
乱雑に積まれた木材、ゴミがはみ出したゴミ箱。
あちらこちらで野良猫の鳴く声が聞こえ、建物の隙間を通る風はやけに生暖かい。
そんな中を女性が一人歩いているなど、通常の思考であれば危険だと感じるにも関わらずそれがさも当たり前なように見えるのは、ここに居るのがだからなのであろうか。
以前、同じ場所でに声をかけたゴロツキが見るも無残な姿で『聖杯』に突き出されたことは、未だにファミリー内で笑いの種にされていたりするのだ。
爆笑する幼馴染たちと、ジョーリィの嫌味ったらしい含み笑いが、の脳裏に浮かんで消えた。

「なんかヤなこと思い出した……」

溜息とともにポツリと零したの目に、一枚の看板と扉が留まった。
迷いも無く扉を開け、地下へと続く階段を降りて行く。
石造りの階段にヒールがぶつかり、やけに大きく足音が響いた。
その足音に壁一枚を挟んで聞こえてくるざわめきが混じる。
すんっと鼻を鳴らせば微かに漂ってくる匂い。
それは階段を降りきった先、木製の両開きの扉を開いた瞬間に鮮明なものへと変わった。

「ようこそ! 欲望とスリルの楽園『イシス・レガーロ』へ!」

篭った熱が肌を撫でる。
酒に煙草に香水…交じり合った独特の匂いに、いつまで経っても慣れるもんじゃないとは僅かに顔を顰めた。

「おや、さんではありませんか。こちらにいらっしゃるなんて珍しい」
「え? さん!? こんなところで会えるなんて、オレ嬉しいッス!!」

物腰が柔らかく世話好きのヴィットリオに、女運に関してはとことん幸の薄いジェルミ。
駆け寄ってくる『金貨』のコートカード二人に、は社交的な笑みを浮かべた。

「こんばんは、二人とも。今夜も盛況ね」

見渡せばどこの台も人で溢れ、空いた席を探す方が難しい状態。
「おかげさまで」と微笑んだヴィットリオだったが、彼は不意にの頭からつま先まで無遠慮に眺め始めた。
フェミニストたちが揃う金貨のセリエで、それもコートカードである彼にしては珍しい行動に、も思わず「どうしたの?」と一歩引いた。

「いえ。普段とお変わりない格好だったものですから。さて……今日はルーレット? それともカード?」
「ふふ、残念ね。今日は…と言うか今日も仕事よ。」

それは残念…と言うヴィットリオに、は更に言葉を続けた。

「それにカジノなんて私のガラじゃないわ?欲望よりも理性、スリルより平穏を…が私の基本方針だから。あと、お金については堅実かつ計画的に…もね」
「ははは、そう言っていただけて安心しました。以前のようなことは、もうコリゴリですよ」
「もう…だったら、誘わないでよ」

冗談交じりにそう言って笑うヴィットリオに、も穏やかな笑みを浮かべた。

「オーイオイ、。オレを放って他のオトコと楽しくおしゃべりとは……まったく悲しいねェ!」
「あら、デビト。居たの?」
「居ちゃ悪いか。つーかよォ、てめーがココに来るなんざ、オレに用事以外に何があるんだっつーの」
「ないわね」

不意に降ってきた声に振り向くと、ニヤニヤとした笑みを浮かべ両手を広げるデビトが居た。
今まで何をしていたのか?との疑問は、彼の眠そうな瞳を見てすぐに解決する。
呆れたように言葉を返したは、手に持った二通の封書をデビトへと手渡した。
大きなものと小さなもの。
両手の封書を見比べながらデビトは「なんだこれ?」とを見る。

「大きい方は来月の『金貨』の予算資料。小さな方はノヴァから預かってきたものよ」
「ふーん。チビちゃんからネェ。どれどれ?」

紙を開く音に、もデビトの手元を覗き込んだ。
手配書とメモ書きが一通ずつ。
どうやら、この『イシス・レガーロ』がある裏通り界隈に、近頃頻繁に出没する詐欺師の取り締まり依頼のようだ。

「ハァー……ったく、キレーなオネーサンならまだしも、こんなムサ苦しいおっさんなんてよォ。やってらんねーっつーの!」

デビトの手から零れた手配書が床に落ち、のパンプスへぶつかって軽い音をたてた。

「あらー…悪そうねぇ」

拾い上げてが笑う。
濃い茶色の髪を肩口まで伸ばし、顎には無精髭、鋭い青色の瞳が酷く冷たく見える。
「ハイエナみたいな風貌ね」と呟いたは、それ以上興味が薄れたのか手配書をテーブルへと無造作に置いた。

「そんじゃ、オマエにまかせた。一応賞金も出るみてーだぜェ?」
「バカ言わないで。一般人に対しての賞金でしょ、コレ。ファミリーの私が捕まえたところで一銭にもなんないわよ」
「……チッ!」
「体良く押し付けようとしてんじゃないわよ、全く……。それじゃ、私はもう行くわ」

呆れた溜息を隠さずそう言ったは、デビトに背を向け『イシス・レガーロ』の出口へと向かおうとしたのだが。

「おっと、待てよ。どうせ今日の仕事はこれで終わりなんだろォ?」
「……そうだけど?」
「んじゃ、決まりだ。ちっと遊んでけ」
「は……?」

デビトの言葉に、のみならずその場に居た『金貨』のメンバーたちが固まった。
慌てた様子でジェルミが声を上げる。

「カ…カポ! もう忘れたんッスか!?」
「そうですよ! あの恐怖の夜を……・っ!」
「ハァ? テメーら全員何言ってやがんだ。」
「ああああぁっ! しまったぁ!! カポ、居なかったんだ!!」

遂には頭を抱えて蹲ってしまったジェルミに、デビトが怪訝そうな視線を向ける。

「初めてが『イシス・レガーロ』に来た時、簡単だからとブラックジャックに誘ったのだが……結果はこちら側の惨敗。ことごとく負け続けて、全員のプライドがへし折られたんだったな。」
「はは、ははは……レナート…」

デビトの背後から現れたレナートがなんでもないことのように説明をしたが、彼もまた被害者だったようでこめかみが僅かに痙攣しているように見えた。
気付いたロロが口元を引き攣らせて笑う。
しかし、そのことがデビトのギャンブラーの血を騒がせてしまったのだろう。
ニヤリと彼の口元が歪んだのを、ヴィットリオは見逃さなかった。

「よーし、! オレと勝負しよーぜェ? オマエが勝ったら…そうだなァ。オマエの言うことなんだって聞いてやるゼ?」
「……なんだって?」
「そう……ナンダッテ、だ」
「何か含みがあるように聞こえるけど……ま、いいわ。じゃ、私が勝ったら…」
「待った。命令は勝ってからにしよーゼ」

の言葉を切って口角を上げたデビトは、器用に指先でトランプをくるりと回した。

「こ……今夜は血を見るかも…」

誰かのそんな呟きはカジノの喧騒に紛れて掻き消されてしまった。












一種異様な空気がレガーロの秘密カジノ、『イシス・レガーロ』に漂っていた。
ギャンブルに熱を籠める人たちのざわめきとはまた違う騒々しさが店内を満たしている。
誰もが一つのテーブルに注目し、その行方を見守っていた。

「――――〜っ!! だぁーっ!! 、テメェ!!」
「何よ、うるさいわねぇ……」

綺麗に揃ったカードの上に、デビトの手から零れ落ちたカードが重なった。
ハートのQとダイヤのA。
の目の前に置かれたカードはこの2枚のみで、成り行きを見守っていた誰もが「また…」と胸の内で呟いた。

……テメェまさかイカサマ仕込んでんじゃねーだろーナァ?」
「はぁ……馬鹿なこと言ってんじゃないわよ、まったく」

呆れたように溜息を吐いたの目の前にはチップが堆く詰まれており、これまでの勝負の結果を表している。

「さ、もう気が済んだ?」

チッ!と大きな舌打ちが店内に響いた。
プライドの高いデビトにしては珍しく、勝負がつく度にもう一戦もう一戦と顔を顰めていたが、ようやく諦めたようだ。
降参とばかりに両手を上げてデビトは大きく溜息を吐いた。

「わぁーったわぁーった!! オレの負けだ。っんだよ、。テメーがこんなにつえーなんて聞いてねーぞ?」
「私だって知らなかったわよ? 大体ブラックジャックのルールだって、初めてココに来た時にレナートに教えてもらって知ったんだし」
「ハァー!? んじゃ、何か!! オレはルールもロクに知らねぇ素人に負けたってことか!?」
「ふふ。ビギナーズラックって言うじゃない?」
「い…いや、さん……これはもうそんなレベルじゃ……」

カードを指先で弄りながら笑うに、ヴィットリオが口元を引き攣らせた。

「さて……じゃ、勝負もついたことだし…。ねぇ、デビト」
「あァ?」
「あァ? ……じゃないわよ。私が勝ったら何でも言うこと聞いてくれるんでしょ?」

自分で言ったことなのに、デビトは忘れていたようだ。
己が勝つと信じて疑わなかったせいだろう。
これでもかと顔を歪めたデビトは、またひとつ舌打ちをすると「レガーロ男に二言はねェ!」と、ニコニコと笑うを真っ直ぐに見据えた。

「じゃ、とりあえずこのチップは返すわね」
「あ?換金しなくていいのかヨ」
「いらないいらない。そんなつもりじゃなかったし。あ、これも命令なんだから文句言わないでよ?」

予想外の言葉に、一同は呆気に取られた。
ジェルミにいたっては、積み上げられたチップの換金額を目算したようで、大きく目を見開いて驚いている。
そんな彼に気付き、ふふっと笑ったは「…で、ここからが本番」とデビトの手を取り、何故かレナートを呼んだ。

「どうした、
「今日、デビトが居ないと困る仕事ってある?」
「いや、今は無い」
「そ? じゃ、決定ね! 行くわよ、デビト」
「ハァ!? 行くってどこにだァ?」

怪訝そうに眉を顰めるデビトに、は一言「レガーロ男に二言は無いんでしょ?」と笑みを浮かべた。

「飲みに行きましょう? 付き合ってくれるわよね? あ…もちろん、デビトの奢りでだけど!」

実に楽しそうに言うに、デビトは見開いた目をふっと細めた。
引かれっ放しだった手を解きの手を掬い上げたデビトは、さも当然の様に彼女の前に跪く。
その妙に自然な流れに、は呆気に取られたように目を瞬いた。
デビトが口角を上げる。

「仰せのままに。La mia principessa?」

耳にするりと届いたデビトの声に、は言葉の意味を理解するのに数秒を要したようだ。
何度も瞬きを繰り返しても、視界に入るのは余裕の笑みを浮かべるデビトのみで、それが妙におかしくては呆気に取られていた顔をほころばせた。

「よっし! そんじゃ、テメーらァ! 後は任せたぜェ?」

手は繋いだまま扉を開いたデビトは、見送りのために並ぶスートたちへと振り返り声をかける。
それぞれがそれぞれに答えると、デビトが満足げに頷いた。

「あっ、さん!!」
「ん?」

唐突に名を呼ばれたが振り返ると、そこには目をキラキラと輝かせたジェルミが居た。
どうしたの?と首を傾げる。

「次は是非ドレスで来てください! オレがエスコースするッス!」
「あら……ふふ、そうね。機会があれば……ね?」

微笑むの背後で、ゆらりと空気が揺れた。
誰かが「バカ! ジェルミ!!」と叫ぶが、もう手遅れのようだ。

「ジェルミィー…テメー、イイ度胸してんじゃネェか」
「ヒッ! カ…カポ!!」

怯えるジェルミに向かってデビトの腕が伸びる前に、ががっちりとデビトの襟首を掴んだ。

「早くしないと、パーチェを呼ぶわよ?」

にっこりと…しかし確実に笑っていない目に、デビトの頬を冷や汗が伝った。

「お…仰せのままに……La mia regina…」

怯え半分、悔しさ半分の震える声に、は今度こそ満足げに頷いた。










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