La storia di me e lei e loro 
< 私と彼女と彼らの物語 >
13...ピッコリーノ







教会の礼拝堂。
朝からたくさんの子どもたちが集まり、普段はしんっと静まり返っていることが嘘のように賑やかだ。
今日はどんな話が聞けるんだろう、何をして遊ぶんだろうと、口々に楽しそうにおしゃべりをしている。
そんな様子を眺めながら、は小さく笑みを零した。
今日はデビトが"子どもたちの為になる話"をするはずなのだが……

「心配……」

溜息交じりに呟けば、フェリチータがどうしたの? と首を傾げた。

「ピッコリーノには仕切りの人間、今日はデビトが子どもの為になる話をしてあげる事になってるんですよ、お嬢様」
「デビトは毎回ひどい話をするからなぁ……オトナとして心配」
「あら、そういうパーチェの話も、ある意味オトナとして心配よ?」
「そんなぁ〜……」

パーチェの話はというと、いつも食べ物のことばかりで、はっきり言ってしまえばとてもくだらないのだ。
子どもたちも大あくびをしていることがあったりする。

「おらおらガキども、こっち注目しやがれ!」
「あ、ほらほらお嬢。始まったよ」
「デビトはまったく……あの言葉遣いはなんとかならないものでしょうか……」

ハラハラと見守るルカの隣に座っていたは、ムリでしょ? と一蹴すると、そのまま席を立った。

、どこへ行くんですか?」
「控えの部屋よ。この後の準備があるの」

そう言い残して去って行くの背中を見送ったルカが、小さく首を傾げる。
今日のピッコリーノで、が何かをするとは聞いていないのだ。
パーチェに尋ねるも、彼も何も聞いていないらしい。
首を傾げる二人の間で、フェリチータもどうしたんだろう、と小さく首を傾げるのだった。





大きく平たい箱を空け、は丁寧にその中身を取り出した。
ピッコリーノで歌を歌うと話したに、フェデリカが用意した衣装である。
元々スーツのままで歌うつもりだったのだが、それでは雰囲気が出ないわよと押し切られてしまったのだ。
子どもたち相手に雰囲気もなにもないと思うのだが……

「あら素敵」

小さく呟いて広げる。
当日まで見ないでね、と念を押されていたので不安ではあったものの、彼女の見立ては間違いではなかった。
シルクのシンプルなロングドレス。
生地はの髪色ととてもよく似たシャンパンカラー。
胸元にあしらわれたレースと刺繍は薄桃色で、リストランテで歌を歌う時のような大人っぽさとは違い可愛らしさも忘れていない。
見惚れていると、礼拝堂の方からわぁっと子どもたちの怯えるような声が聞こえてきた。
予想に反さず、デビトは子どもたちの"為にならない"話をしているようだ。

「っと、悠長にしてる場合じゃないわね」

ドレスを抱えて鏡の前に立つ。
ネクタイリングを丁寧な手つきで外し、ネクタイを解く。
スーツを脱ぎ、シャツを脱ぎ、下着姿になったは、鏡に映った自分の姿をじっと見つめ、そしてそっと手を伸ばした。
普段は服に隠れて見えない、イル・ディアーヴォロのスティグマータ。
鎌を抱きかかえる髑髏のようなその姿は、ニヤリと口元を歪めて笑っているように見える。
そしてその上を走る、一筋の大きな傷痕。

――満足したか?

脳裏に過ぎった声に、の両目が大きく見開かれる。
息が詰まるような気分だ。
ズキズキと癒えたはずの傷が疼くように痛む。
スティグマータと傷を隠すように右手で押さえ、はゆっくりとした手つきでドレスを持ち上げる。
その瞬間、コンコンコンと小さなノックの音が響いた。
子どもたちの声が聞こえ続けているので、デビトは今も話をしているのだろう。
だったら、ルカかパーチェか。

「誰?」

扉に向かって声をかけると、意外な人物の返事が返ってきた。

「あの……? 入ってもいい?」
「お嬢様? あっ……ちょっと待って!」

慌ててドレスに袖を通し、身を整える。
さすがはフェデリカ。
サイズはぴったりで、何も問題はなかった。
一緒に箱に入っていた靴を履き、慌てて扉へと向かう。

「ごめんなさい、お嬢様。お待たせしちゃったわね」
「わぁっ! 、キレイ……」
「あら、ありがとう」

賞賛の言葉ににっこりと微笑むだったが、すぐにその笑みを潜めると、どうしてここに? とフェリチータに尋ねた。

「デビトのお話の後、が何をするのかルカたちが気にしてたから。ちょっと見てきてくれないかって」
「まったく……心配性なところは何にも治ってないんだから。本当はサプライズの予定だったんだけど……お嬢様にだったらいいかしらね」

フェリチータはの独り言に耳を傾けながら、コテンと首を傾げた。

「私ね、いつもは時間が合わなくて、あまりピッコリーノには参加できてなかったの。今回はたまたま時間が空いたから、それなら子供たちのために何かできないかしらって思って」

ついでにあいつらにもね?とウインクをすると、フェリチータが小さく笑みを零した。

「それで、は何をするの?」
「ふふ、それはあとでのお楽しみ。さ、お嬢様。そろそろ席に戻って? もうすぐ私の出番だから」

耳を澄まさずとも子どもたちの叫び声が聞こえてくる。
頭が痛いとばかりに、が溜息を吐くと、フェリチータも苦笑いを浮かべた。

「それじゃ、。楽しみにしてるね」
「ええ」

部屋を出て行くフェリチータを見送ったは、傷の痛みがすっかりひいていることに気付いた。
左脇腹を指先でひと撫でし、口元に笑みを浮かべる。
そして子供たちの声が聞こえ続ける礼拝堂へ向かって、廊下をゆっくりとした足取りで歩くのだった。





扉を開けると、泣いている女の子の姿が視界に飛び込んできた。
一体何の話をしたのか、と出そうになる溜息をぐっと堪える。
こつりとヒールを鳴らして中に入る。
泣き声と笑い声に溢れていた礼拝堂内が、水を打ったように静まり返った。
先ほどまで声を上げて泣いていた少女は、涙で濡れた大きな瞳をキラキラと輝かせてを見上げている。
デビトにもっと話を聞かせてと笑っていた少年も、子どもたちの悩みを聞いていたのであろうルカやパーチェも、現れたの姿を食い入るように見つめていた。

「お姉ちゃん、きれい……天使さまみたい」

ぽつりと少女が呟く。
意外なその言葉には微かに目を見開いたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。

「天使さまじゃないよ。女神さまだって!」

少年が口にする。
今の言葉は、さすがに幼馴染の誰かが吹き出してしまうんじゃないかと、は礼拝堂内にバラバラに立つ三人へと順番に視線を向けた。
ルカのキラキラとした瞳は想像していた通り。
パーチェも同じような瞳でバニーリャみたいだと声を上げ、デビトは小さく口笛を鳴らしそして口角を上げた。
そんな彼らから視線を外したは、もう一度子どもたちに向かって微笑みかけると、すうっと息を吸い込んだ。
細く長く伸びる歌声が礼拝堂に響き渡る。
彼女が歌い始めたのは、レガーロに昔から伝わる民謡の一つだ。
少女に対しての少年の淡い恋心を歌ったこの歌は、まだその意味も知らないような幼い子どもたちに人気の歌でもある。
かく言うも、幼い頃から口ずさんでいた歌だった。

「あれ? この歌……」
「どうしたんです? お嬢様」
「なんだか、すごく懐かしい気がする」

フェリチータの呟きに、有名な歌ですからとルカが言うが、フェリチータはそうじゃないのと首を振った。

「でもほんと久しぶりだね。のこの歌」
「ええ。そう言えばしばらく聞いていませんでしたね」

さっきまで聞こえていたの歌声に、子供たちの声が混じる。
手を繋ぎ輪になった子どもたちの中心では穏やかに微笑みながら、とても楽しそうに歌っていた。

「ねえ、お嬢様も一緒に歌いましょう?」
「え?」

突然に声を掛けられ、フェリチータが目を瞬く。
差し出された右手を掴んでいいものかと悩んでいると、フェリチータの手を取ってパーチェが駆け出した。

「ちょっと、パーチェ!?」
「お嬢、行こう? ー! おれも仲間にいっれて〜!」
「お嬢様だけを誘ったのに……大きな子どももついてきちゃった来たわね」

呆れたようにが零すと、子どもたちが声を上げて笑う。

「いいじゃーん! おれも歌いたいぃー!」
「ふふ。はい、じゃあパーチェはこれ」

どこからか取り出したタンバリンをパーチェに渡したは、少し離れた場所で見守っていたルカを呼んだ。

「ルカはあれね」
「はい?」

ルカが駆け寄ってくると、は祭壇の隣を指さした。

「パ、パイプオルガンですか!?」
「あら? 昔はよく弾いてくれたじゃない。それとも今はムリ?」
「いえ……弾けますけど」
「じゃ、お願い」

お願いされると断れないことをは知っている。
案の定口元を引き攣らせながらも、ルカはパイプオルガンの前へと腰を下ろした。

「あとは……はい、デビト」
「オレもかよ……」
「当たり前じゃない」

デビトの元へと駆け寄りマンドリンを手渡すと、彼は渋々ながらにも受け取ってくれた。
これで準備は完了だ、と振り返るとフェリチータが、私は? と尋ねてきた。

「お嬢様は私と一緒に歌って? 大丈夫。お嬢様も知ってる歌よ」

そう言って微笑むと、パーチェがタンバリンでリズムを取った。
次に響いたのはパイプオルガンの音。
そこにマンドリンのメロディが重なると、子どもたちがわあっと沸き立った。
フェリチータがを見上げる。
パチンとウインクをひとつ送ると、フェリチータが僅かに頬を染め大きく息を吸い込んだ。










控えの部屋に戻ったは、火照った体を落ち着かせるように大きく息を吐いた。
グラスに水を注ぎ、窓辺に置かれた椅子にそっと腰を下ろす。
窓の外へ視線を向けると、子どもたちに混じってパーチェとフェリチータがカルチョを楽しんでおり、少し離れたティーテーブルではルカがお茶の用意をしてた。
生き生きと走り回る子どもたちがとても楽しそうで、も混ぜてもらおうと立ち上がるが着替えがまだだ。
どう考えてもこの格好では出来ないなと、カーテンを引き背中のファスナーに手をかけた。

「……って、あら? ちょっと……」

ほんの少し下げたところで引っ掛かりを感じ、の手が止まる。
ファスナーが生地に噛んでしまったのだ。
無理矢理に下げると生地が傷んでしまう。
かと言って自分一人ではどうしようも出来ない状況。
誰かを呼びに行くべきかと考えていると、ちょうど良いタイミングで扉がノックされた。

「オイ、。入るぜェ?」

どうぞ、とが答えるより早くデビトが扉を開ける。
まだ着替えてないのかと呆れた視線を向けてくるデビトに、ちょうどいいところに来てくれたと言うと、彼は小さく眉を寄せた。

「ファスナーが生地に噛んじゃって……悪いんだけど外してもらえないかしら」
「…………」
「デビト?」
「いや……なんでもねェ」

不機嫌そうな眉間の皺が、何でもないことはないと物語っているが、は彼に背を向けているためそれに気付かない。
背中に流した髪をまとめて肩に流すと、早く、とデビトを急かした。
デビトの指先がの背中へと伸びる。
噛んでしまった部分を器用に外すと、デビトはそのまま一気にファスナーを下ろした。

「ちょっと、デビトッ! 外すだけでいいわよ!」
「また噛んじまったら意味ネーだろォ?」
「だからってね!」

曝されてしまった背中を隠すように振り返りデビトを睨みつけると、彼は実に楽しそうに目を細めた。

「イイネェ〜。そんな目もそそるぜェ?」

からかうような物言いには眉根を寄せ、大きな溜息を吐く。
そして再び着替えようと肩紐に指をかけ、尚も目の前で無遠慮な視線を向けてくるデビトを呆れを含んだ目で見つめ返した。
いつまでそこにいるつもり? と尋ねるも、彼はさァ? と笑うだけ。
彼の目の前で着替えたり、それこそ一緒に風呂に入ったこともあれど、もちろんそれは幼い頃の話だ。
この年齢になった今、デビトの目の前で肌を曝して着替えるなんて出来るわけがない。

「着替えるから出てって」

これで彼が出て行かないのであれば、さらに奥の部屋に逃げようとスーツに手を伸ばした時だった。

「ひぁっ!」

左脇腹に冷たい指の感触を感じ、の口から小さな悲鳴が上がる。
思わず口を手で押さえ振り返ると、まるで予期していなかった反応に驚くデビトの顔があった。

「な……なに……?」

怒るのも忘れ出た言葉はただそれだけだった。

「いや、わりィ……この傷、残ってたンだな」
「え? あ……ええ。一生残るだろうって……ジョーリィが」
「チッ! 元はと言えばあのジジイがッ……」

眉間に皺を寄せ吐き捨てるように言葉を紡ぐデビトだったが、の表情を見た途端口を噤んだ。

「でも、挑発に乗ったのは私」

自嘲するように口元を歪めるが小さく呟く。

――タロッコとの契約を解除するには、だと? クク……子どもは面白いことを聞く。

の脳裏に馬鹿にするようなジョーリィの声が響いた。
代償に耐えることができなくなった幼い頃のが、タロッコと契約をさせた張本人であるジョーリィに尋ねた質問。

"タロッコとの契約を解除することは可能か"

その答えは意外な形で返ってきた。
銀色に光るナイフが一本、ジョーリィの手からに渡ったのだ。

――簡単なことだ。宿主が死ねばいい。

「…………ぃ……おい……?」
「っ……デビト……」

の瞳にこれでもかと顰められたデビトの顔が映る。

「なんでもないわ……少しぼーっとしてただけ。さ、本当に着替えるから出て行って」
「…………わーったよ」

ポケットに両手を突っ込み、デビトが背を向けて扉の方へと歩いて行く。
その背中を見送りながら、は過去の記憶を振り払うように小さく頭を振った。
傷を見るたびに思い出し、夜眠りに就けば度々現れる記憶。
感じたのは激痛。
見たのは赤く染まった両手とナイフ。
そしてサングラスの向こうで驚きに見開かれた紫色の瞳。
豪奢な絨毯は血で濡れ、血臭が鼻につき始めたところから先の記憶といえば、ベッドに横たわる自分を見下ろすファミリーたちの心配そうな表情だった。
あの時のマンマの泣き顔と、パーパの怒りの表情は忘れられない。


デビトの声に意識が浮上し顔を上げる。
扉に手をかけたまま顔だけ振り返ったデビトが、少し怒ったような表情でを見つめていた。
なに? と返すと、彼は小さく溜息を吐く。

「次からああいうことはバンビーナにでも頼むんだな」
「…………?」
「ハァ……ったくよォ。襲われても文句も言えネェっつってんだ」
「なっ! おそッ!?」

デビトの言葉の意味をようやく理解したであろうは、顔を真っ赤に染めてデビトを睨みつけた。

「ま、そう言うこった。次からは気をつけるんだなァ」

扉を開きながらそう言ったデビトがクッと喉を鳴らし、するりと部屋の外に出る。
そのまま扉が閉まるのかと思いきや、口角を上げたままのデビトが金色の目を細めてを見つめた。

「……まだなんかあるの?」
「いいや、別にィ? 襲って欲しかったんなら悪いことしたナァと思っただけッ……」

カッ! と小さな音をたて、扉にナイフが一本突き刺さる。
自分の鼻先すれすれを通ったナイフに、さすがのデビトも口を噤むのだった。










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