La storia di me e lei e loro 
< 私と彼女と彼らの物語 >
14...ファミリア







朝市も終わったビヴァーチェ広場は、真上に昇った太陽に照らされて明るく輝いていた。
今日も気持ちの良いレガーロ晴れ。
少し暑いくらいで、はスーツの上着を脱いだまま広場を歩いている。
朝も早くから根を詰めて書類を片付けていたのだが、廊下で響いたお子様たちのケンカの声に集中が切れてしまい、大きな溜息と共に館を出たのがつい先ほどのこと。
気分転換ついでに昼食をと思ってビヴァーチェ広場まで来たのであるが。

「おい、ばーさんよお! どこに目ェつけてんだ、おらっ!」

噴水近くに美味しいパニーノの屋台があると嬉しそうにパーチェが話していたことを思い出しきょろきょろとしていただったが、不意に聞こえた怒鳴り声に眉をひそめた。
広場を行く人たちが立ち止まり、様子を窺いながらひそひそと言い合っている気配がする。

「おいおい、どこ見てんだっつってんだろーがよ!!」

ダンッと大きな音が響き、女性の小さな悲鳴が耳に届いた。
様子を窺っていた若い女性が「誰か助けに……」と小さく呟くが、隣に立つ男性もその他の人々も躊躇っているようだ。
こんな時に限って、街の巡回をしているはずの『聖杯』の姿はどこにも見当たらない。
仕方が無いとばかりには人垣を押しのけ、なおも聞こえる怒鳴り声の主を視界へと入れた。
見るからにチンピラといった風貌の若い男だ。
彼が睨みつけるその先には、初老の女性が怒鳴り声から自分を守るように首をすくめている。
恐らくはぶつかってしまった拍子に転んでしまったのだろう、尻餅をついた婦人の肩にが触れた。
ビクリと肩を大きく震わせた婦人に向かっては優しく声をかける。

「もう大丈夫ですよ、シニョーラ」

手を貸し立ち上がらせた婦人を近くにいた屋台の主人に任せると、は鋭い視線を男へと向けた。
若い女だと甘く見ているのだろうか。
男はにやりと口元を持ち上げ、その酷く不快な笑みには眉根を寄せる。

「ばーさんの代わりに詫びでもしてくれんの? キレーなオネーさん?」
「…………」
「んだよ、何か言えよ、オラ! それともビビってんのか? あァ?!」

声を荒げると同時に伸びてきた男の腕を、の手が捕らえた。
上着は置いてきたため、その裏に忍ばせていたナイフやナックルは使えないが、何も彼女の武器はそれだけではない。
彼女の身体自身も立派な武器である。
無言のまま腕を捻り上げ膝裏に一発蹴りを入れると、男の体は情けないほど簡単に地面に崩れ落ちた。

「一体なんの騒ぎだ!」

逃げないように捻り上げた腕はそのままに、聞こえてきた複数の足音と耳に慣れた声には小さく息を吐く。
駆けつけてきたのは『聖杯』の幹部ノヴァとコートカード四人、それに彼らの後ろにはフェリチータの姿もあった。
ノヴァはに拘束された男の姿を一瞥すると、状況を理解したのだろう。
コートカードたちへと振り返り、瞬時に指示を出した。

「スクーロ、その男の身柄を拘束しろ。アルベロ、フレッド、ルーチェ、それからフェル。お前たちはこれ以上騒ぎが大きくならないよう、街の人たちを頼んだ」

それぞれが力強く返事をし、持ち場へと向かってゆく。
近づいてきたスクーロへと男を引き渡すと、は小さく伸びをし、街の人から話を聞いているノヴァへと近づいた。

「広場の警備が薄くなるなんて。珍しいわね、ノヴァ」
「手を煩わせたな、すまない。つい数分前、広場でスリの被害が発生したんだ」
「ノヴァ様と我々は、犯人を追って裏通りへと……」

そういうことなら仕方が無いと、は謝罪の言葉を述べるノヴァを制し、市場の主人に任せたままの婦人へと振り返った。
まだ少し怯えているように見える。

「恐い思いをさせてしまいましたね。大丈夫ですか、シニョーラ?」
「え……ええ、大丈夫。助けていただき、ありがとうございました」
「?」

目が合っているようで、どこか遠くを見つめているように見える婦人には違和感を覚えた。
それに先ほどから動きが不自然だ。

「あの、失礼ですが……」
「奥様!! どうなされました!? 大丈夫ですか!?」
「その声はジジね。ええ、わたくしは大丈夫ですから、落ち着きなさい」

息を切らし焦った様子で駆けつけてきた男に、は目を見開いた。
後頭部に撫で付けた白髪交じりの髪は僅かだが乱れており、彼がどれほど慌てているかを物語っている。
婦人に諌められ萎縮していた男――家の執事ジジだったが、不意に顔を上げるとの姿を視界に入れ、そしてハッと息を飲んだ。
しかしそんな二人の様子に気付いていないのか、婦人は嬉しそうににっこりと微笑むと、静かな声でジジを呼ぶ。

「こちらのお嬢さんに助けていただいたのよ。ああ、そうだわ。何かお礼をしなくてはね」

そう言って婦人が振り返った方向に、の姿はなかった。
全くの反対側に立っていたからだ。
ああ、やっぱりとは思う。

「シニョーラ。失礼ですが……目が?」
「あら? ごめんなさい、こちらにいらっしゃったのね」

声に反応して振り返った婦人は、今度こそ薄灰色の瞳にの姿を映した。
婦人は「光くらいはわかるのだけど」と、ほんの僅かに憂いを含んだ笑みを浮かべて答える。

「それよりも、本当に助かりました。ありがとう。貴女のお名前をお聞かせ願えるかしら?」
「私は……」

が再び息を飲んだ。
目の前でニコニコと笑みを浮かべて返事を待っている婦人は間違いなく、レガーロ島でも有数の資産家『家』の当主夫人なのだろう。
現当主が正妻以外の誰かを娶ったといった類の話も聞いたことがない。
そうであるならば――

(この人が…………)

ぎゅっとが拳を握った。
ジジが気が気ではない様子でを見つめている。
きっと彼はが怒鳴り出すのではないかと考えているに違いない。
しかし、深呼吸をしたが口にした答えは、ジジの予想をはるかに上回るものだった。

「シニョーラに名乗るほどの者でも、礼を述べられるような者でもありません。我々『アルカナ・ファミリア』はこのレガーロ島を、そして島の人々を守るために存在しています。どうぞお気になさらないで」
「まあ! 『アルカナ・ファミリア』の方でしたのね。私の娘も、あっ……娘なんて言う資格、わたくしにはないのですが……」
「奥様」

言葉を詰まらせた婦人を気遣うように、ジジがそっと彼女の隣へと立った。
彼は悲痛な面持ちで、申し訳なさそうに眉を下げて微笑む婦人を見つめている。

「ああ、ごめんなさい。貴女にお聞かせするようなお話ではなかったわね」
「いえ……」

ゆるゆると首を振ったは、ジジに支えられて去ってゆく婦人の背中をぼんやりとした目で眺めた。
途中で振り返ったジジが小さく会釈をする。

、今のは……」
「ノヴァ! ! こっちは終わったよ」

ノヴァの言葉を遮り、フェリチータの大きな声が広場に響いた。
見えない目を大きく見開いて婦人が振り返る。
しかし、手を振って駆け寄ってくるフェリチータを見ていたは、そんな婦人の様子には気づいていなかった。

「お疲れ様、お嬢様」
「うん、も。怪我はない?」

心配そうに言うフェリチータに大丈夫だと微笑むと、彼女はほっと息を吐く。
コートカードたちも戻り、そろそろ館へと戻ろうかと思っていると、ノヴァがそう言えばと口を開いた。

「さっきの男だが、スリの犯人の仲間だそうだ。スクーロが言っていた」
「そうだったんだ。なんだか最近多いね」
「外海から人が集まる季節だからでしょうね。観光客を狙って、そういったタチの悪い輩も増えてしまうのよ」

そんな現実に残念そうに肩を落とすフェリチータに、ノヴァが仕方が無いとばかりに溜息を吐いた。

「そんな時のために、僕たち『アルカナ・ファミリア』がいるんだろう?」

ノヴァの言葉にも同意すると、フェリチータは一瞬きょとりとした後、表情を引き締めて力強く頷いた。
その素直な反応に、緊張していた空気がふっと緩む。

「あら大変、もうこんな時間だわ。そろそろ館へ戻らないと……っ!」

振り返ったの口から声にならない悲鳴が零れた。
立ち去ったはずの家夫人とジジが立っていたからだ。

「なっ!? どっ……」

どうしてここにと声を上げる前に、婦人の手がへと伸びた。
皺が多くかさついた手は、資産家の夫人とは思えないほどで、無意識にはその手を握り返していた。
触れた瞬間、この手が負ってきた苦労が伝わったような気がして、きゅうっと眉根が寄る。

「貴女がッ…………いいえ、『アルカナ・ファミリア』のお嬢さん。貴女にお願いがあります」
「……はい」

握り締めた手に力が篭もる。

「あの子に会ったら伝えてくださいませんか?……貴女を手放して寂しい思いをさせてごめんなさい、と。……全部、全部わたくしたちが悪いのです……わたくしたちの勝手な行動で、貴女を独りにさせてしまって……本当にごめんなさいッ! 本当に……本当に……」
「……必ずお伝えします。でも、きっと……きっと、彼女はこう答えると思いますよ」

婦人が深い皺を刻んだ目尻に涙を溜めて、を見上げた。
自分と同じ色をした、婦人のライトグレーの瞳に一瞬息を飲む。
乱れてしまった心を落ち着かせるように深呼吸を繰り返したは、きゅっと唇を噛み締めた後ゆっくりと口を開いた。

「寂しいなんて思ったことはありません。私の傍には常に、三人の兄がいてくれたから。辛いこともありましたが、それはあなた方のせいなんかじゃない……。それに、私には『アルカナ・ファミリア』という家族があります。これで結構、毎日楽しく過ごしているんですよ? 私は……は今とても幸せです。だから……どうか気に病まないで」
「っ!! 貴方の手、とても温かいわ。本当に幸せなのね……良かった。本当に良かった……」

大きく見開いた瞳から涙を零しながら、婦人は何度も「良かった」と繰り返す。
許しを得たからではない。
娘が幸せだと微笑んだことに対しての、心からの喜びなのである。

「でも……もう一度だけ言わせてちょうだい。本当にごめんなさい。……それから、これからも貴女の幸福を心から祈っています。幸せに……わたくしの大切な娘、

は声を出せず、ただ痛いくらいに握り締められた手を、握り返すことでしか答えることが出来なかった。

「ジジ」

家の執事を呼ぶの声はかすれていた。
答えるジジの声も、僅かに震えている。

「後日、館へ来てください。伺いたいことが色々とありますので」
「っ……、かしこまりました」

ジジは深く腰を折ると婦人へと手を差し出し、今度こそビヴァーチェ広場から立ち去って行った。
二人の姿が見えなくなる頃、ようやくは肩の力を抜いた。
すっかり熱を失った手は小さく震えていた。










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